Message代表者メッセージ

人生2度なし、悔いなく生きる

代表者が、本事業を営む上での、考え方、指針、思いを日々、新たに綴っていきます。

そして「人生2度なし、悔いなく生きる」を人生の目的・志 に掲げた代表者が、東洋哲学(古典)を基盤に独自の持論と理論を展開していきます。

企業の経営者、様々な組織や団体のリーダーの「知識・見識・胆識」と「論理・情理・道理」の指南書となり、勇気と実行力の推進となることを祈念してメッセージを発信していく所存です。

是非、ご質問、ご意見、ご要望がございましたら、ご教示頂き、お気軽に問い合わせ頂ければ幸甚です。

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2017.07.14

#35「君之於臣 利益はあとから」

目的に向かうために、リーダーは優れた部下を登用し、一緒に仕事をしながら利益を得る。
リーダーと部下が一体となって取り組む姿は、とてもいいやり方である。

利益を前提にして部下を集めると、部下は利益の分だけ働けばいいと思うようになって、本来の目的ではなく、ただ金のためだけの行動になってしまう。

お金で結びつく前に、目的を同じくする者と手を組みたいものだ。リーダーたるもの先ず目的を共有できる人達を集めて、その活動の中から必要な利益を生み出すように持って行きたい。それをやらないといつまでたっても目的は達成しないし、長続きもしないからである。

2017.07.12

#34「感情を肯定すること」

感情を否定してはいけない。感情は肯定すること。
感情を全面的に抑えつけることは、良い思い、善を喜ぶ思い、人を愛する思いまで否定してしまうことになる。人の為になる、人の役に立つことを喜ぶことも感情体験であり、他人が喜ぶところを見て、満足するのも感情体験である。社長が社員にビジョンを語るのもまた感情の表出であることを忘れてはいけない。感情のないビジョンは、人の気持を動かせない。

2017.07.10

#33「大志を抱け(Boys be ambitious)」とは

高い志を持ち続け、それに向かってひた向きに努力すること。低い目標は、失敗することよりも愚かである。失敗を恐れず、自分を信じて全力で努力をする。その過程が大切である。結果はあとからついてくる。「大志を抱け」の意味は、自分が一生涯やっていくことを極めることである。

2017.07.8

#32「切磋琢磨」の意味

切磋琢磨とは、人間形成(自分づくり)のために絶えざる修養を積むことを言う。第一次的の真似事のようなことだけで満足せず、切っては磋(みが)き、琢(う)っては磨(みが)くというふうに第二次の修行、第三次の修行と、次から次と「自分づくり」の努力を続けて已まぬことを意味する。

「切磋」とは、骨や角の細工をする時の工程で鹿の角とか、象牙を細工する時には、まず彫刻するものの形を切り出し(それが切)次にそれを磋いて滑らかにする。その「切る」にも「磋く」にも次から次といろいろの段階を経て、後に、立派な作品が出来るのである。

「琢磨」とは、玉や石の細工をする時の工程であり、石工が石像を製作する時には、先ず第一に鎚(つち)とかタガネで、石材を琢って荒削りの形を作り、次にそれを磨いて仕上げをする。現在ではこれを「研磨」という。

このように本物の人物、リーダーになるためには、高い理想・志に向かって、日々、切磋琢磨していく行為が重要である。

2017.07.7

#31 恩師の言葉②「一燈を頼め」

この度、小生が起業し法人化して事業を営む上において、学生時代からの恩師であり、人生の師である森俊博先生から頂戴した言葉をここで紹介したい。

一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。只一燈を頼め (人間学言志録)

(訳)一張の提燈(ちょうちん:今日でいえば懐中電燈)をもって行けば、暗い夜道も心配することはない。ただ一燈を頼りにすればよい。
ここでいう一燈というのはこの「己に在るもの」「良心の燈火」であり「真実の自己」である。世の中がいかに闇夜であろうとも、この自らの内に光り輝いている一燈を頼りとして進めば、決して迷うことはない。そして、その周囲に手のとどくかぎり、一燈一燈を点じて暗黒の世を明るくして行くことができる。

この言葉を念じて実行するならば、「どんな困難なことが起きても、常に前向きでいられる、判断や実行に迷った際の心の拠り所となり、目的と目標に向かって、気概を持って前進できる」と確信する。

2017.07.5

#30 恩師の言葉①「一己」

この度、小生が起業し法人化して事業を営む上において、学生時代からの恩師であり人生の師である森俊博先生から頂戴した言葉をここで紹介したい。

士は当に己に在る者を恃むべし。動天驚地極大の事業も、亦都べて一己より締造す(人間学言志緑)

(訳)志に生きる男子は、己の中にある真の自己をたのみとすべきである。天を動かし地を驚かすような大事業も、すべて己自身から造り出されるものである。

修己があって治国平天下(国や会社組織を治め、世の中が平和になる)の大業も成せるのである。
この言葉を念じて実行するならば「どんな困難なことが起きても、常に前向きでいられる、判断や実行に迷った際の心の拠り所となり、目的と目標に向かって、気概を持って前進できる」と確信する。

2017.07.4

#29「自己喪失」

己を喪(うしな)うと、人を喪ってしまう。人を喪うと、財物も喪ってしまう(佐藤一斎:言志四緑-120より)

すべて事をなすには、自分ひとりでできるものはない。小にしては一家の経営から、大にしては大企業の経営、さらに国の政治・経済に至るまで、多くの人々の協力があって事が運ばれる。社長1人がいかに威張ってみても、幹部をはじめ従業員がついてこなければ経営はできない。その協力を得る中心は例えば会社なら社長自身である。これが駄目だと人の協力を得られなくなる。人の協力を得られなければ、事業経営はうまく行かない。従って物の生産もあがらず経済も破綻してしまう。すなわち「人を喪えば物を喪う」ということになる。一斎は人を喪い、物を喪う根元は「己を喪う」からであるという。己を喪うとは、あるべき「自分・自己」がくずれ、正常性をうしなってしまうことである。

政治も教育も、産業も経済も、結局は、その事に当たる人の徳によって運用されるものである。よって「自己喪失」は一切喪失の本であり、自己確立(自分づくり)こそが、一切成長発展の本である。

2017.07.3

#28「上に立つ者の心得」

組織のリーダーとして、人の上に立つ者の心得として、以下4つのことを実践したい

1.寛大であるけれども放縦に流れない
2.明敏ですべてわかっているが、細かい欠点をきびしくさがすようなことはしない
3.簡潔ではあるが粗雑ではない
4.果断でてきぱきやるが、あらあらしく道理にはずれるようなことはしない。

とかく寛大な人は放縦に流されてだらしなくなる。聡明な人は、重箱のすみを楊枝でほじくるように人の欠点を厳しくさがして冷たい。簡単に事をやる人は、粗雑できめ細やかさがない。思いきって事を決断する人は、とかく乱暴で道理に外れやすい。

2017.07.2

#27「六中観」

以下に、「六中観」(百朝集 安岡正篤著)を紹介したい。

【死中有活】
死のような絶体絶命の場に至った時こそ、生きる道が開けてくる。死んだ気で頑張れば、開けない道はない。
【苦中有楽】
苦しみと楽しみは、表裏一体。何かを成し遂げようと苦しむ中に実は、楽しみはある。苦しんでいるその事が実は楽しみである。
【忙中有閑】
忙しい時のわずかな暇な時間に、日頃やりたいと思っていた事をやると集中した充実した時間が持てる。多忙で何かをやる暇など全くないというのは、言い訳である。
【壷中有天】
人知れず、独自の別世界を現実の中に持つこと(趣味とか信仰など)
【意中有人】
何かをする時、何か起こった時、すぐに浮かんでくる友人や知人がいる。いつもつながりのある人物を心の中に持っていることは、人生の幸せである。
【腹中有書】
いつも読みたい本があり、また教訓を引き出せる自分を導くための書、手本というものを、自分の中に備えている。つまり、常に学ぼうとする心構えがある。そういう人はどこまでも向上していくことができる。

日頃からこの6つの観を留意するならば、どんな困難なことがあろうとも神経衰弱にはならずに、精神的に参ることはない。そして、心の平安と安定、張りのある生活が保て、人生をより豊かにすることが出来るであろう。

2017.07.1

#26「独立独歩」の意味

先ず「独」とは、単なる「ひとり」ということでなく、相対に対する絶対の境地を意味する。つまり、群衆に混ざって流されることなく、自己に徹することが、本来的な「独」である。

「独立」というものは何ら他に依存せず、自分自身が絶対的に立つということである。
「独歩」とは、群衆と一緒に歩くという意味ではない。自分が絶対的に自立自行するということである。人の厄介にはならない。自分自身が絶対つまり相対を絶することである。オンリーワンの自分を信じ、自主自立して歩くことが「独歩」である。

人は自己の絶対に徹して、はじめてあらゆる相対に応じることができる。
そういうことから、真の創業者、起業家は「独立独歩」の人と言える。