Message代表者メッセージ

人生2度なし、悔いなく生きる

代表者が、本事業を営む上での、考え方、指針、思いを日々、新たに綴っていきます。

そして「人生2度なし、悔いなく生きる」を人生の目的・志 に掲げた代表者が、東洋哲学(古典)を基盤に独自の持論と理論を展開していきます。

企業の経営者、様々な組織や団体のリーダーの「知識・見識・胆識」と「論理・情理・道理」の指南書となり、勇気と実行力の推進となることを祈念してメッセージを発信していく所存です。

是非、ご質問、ご意見、ご要望がございましたら、ご教示頂き、お気軽に問い合わせ頂ければ幸甚です。

お問い合わせはこちら

2019.07.22

#124「時を畏れる」

終日、勤勉に努力する。いかなる時も畏れ慎むことを忘れない。無駄に時間が過ぎるのを惜しみ、今、何をすべきか、その時々に徹し、集中して、今という時を活かしきることが大切である。過ぎてしまった時は2度と戻ってこない。一瞬たりとも無駄にしないために大切なのが、時を畏れるという姿勢である。
昨日までの過去を悔やんでも元に戻せない。明日以降のことを心配したり、未来を空想しても夢物語に終われば、時間の無駄である。今日一日に集中し、一所懸命に努力して、取り組むこと。その積み重ねが、実力になり、成果に繋がるのである。
つまり、一旦、志を立てたならば、思い悩む「過去」と妄想する「未来」には蓋をして「今に集中」して生きることが肝要である。

2019.06.20

#123「生々発展の六段階」

「時に六龍に乗り、もって天を御す(易経 乾為天)」

龍は雲を呼び、雨を降らすといわれる。
そこから龍は「天」と「陽」を象徴する生き物とされる。

易経六十四卦の乾為天の卦には、龍になぞられて、
志の達成までの変化の過程が次の六段階で記されている。

○第一段階「潜龍」高い志を描き、実現のための力を蓄える段階
○第二段階「見龍」基本を修養する段階
○第三段階「君子終日乾乾」創意工夫し、独自性を生み出そうとする段階
○第四段階「躍龍」独自の世界を創る手前の試みの段階
○第五段階「飛龍」一つの志を達成し、隆盛を極めた段階
○第六段階「亢龍」一つの達成に行き着き、窮まって衰退していく段階

この六段階を「六龍」という。この六つの過程は朝昼晩、春夏秋冬の変化過程と同じであり、大願成就の天の軌道である。その時、その時に応じた働きがあり、その力を使いこなし、大いなる働きを成していくのである。

人生や事業経営も同様のことが言える。意に反して、良くないことや悪いことが自分の身に起こったとしても、それは一時のもので、状況はまた変わってくる。経営者・リーダーとして、一喜一憂し、反射的反応的になるのではなくて、その時期は、耐えて栄養を獲ることが肝要である。
種まきして、リーダー自身の栄養を蓄える段階であり、これが実に大事であるということをこの「六段階」は示唆してくれる。

2019.06.16

#122「潜龍元年」

潜龍とは、将来大きく飛躍する大志を抱きながら、世の最下層に潜み隠れる龍のことをいう。
重要なのは志であり、志を抱くことがなければ、何も変化は起こらず、成長や進化もない。
また、志を抱くべきは何も若い世代だけに限らない。年齢に関係なく、新たな変革を起こす志を養うことが大切である。「潜龍元年」とは、初心に帰り、志を培い続けることである。

2019.06.9

#121「中庸」

「中庸」は、「囚われなく、その時に適切な」という意味。

行動に出るべき時には出る、控えるべき時には控える。自分の地位や立場が危うくなろうとも、進むべき時であれば進み、退くべき時であれば退く。時には嘆き悲しみ、時には喜び、時には烈火のごとく怒る。軋轢を避け、波風を立てないように、常にほどほどの加減を保とうとすることが中庸の精神かというと、そうではない。

2019.06.6

#120「上位に居りて驕らず」

上位に居(お)りて驕らず、下位に在りて憂いず(易経:文言伝)

(訳)
高い地位にあっても驕らず、地位が低くても心悩むことはない。
物事に集中して、必死に努力しているのなら、自分の地位や出世など余計なことに気をとられている暇などない。

2019.05.22

#119「東洋思考とは(大局観思考法)」

東洋の思考として 多長根 という考え方がある。
つまり、問題解決の切り口考え方の拠り所として、一面的でなく、多面的多様性で捉える。短期的でなく長期的に考える。表面的でなく根本的に根源から考えることが肝要であると言われる。これまでの経緯を踏まえて今、何をすべきか?将来、どうありたいか?を 現実を踏まえて、広く深く考える大局観思考法が東洋の思考と言われる。
あらゆる問題について多長根を意識して捉えたい。そして3つのうちどれかではなく多長根を三位一体で考えることが大切である(参照 リーダーの指針 東洋思考)

2019.04.23

#118「志とは」

志の「十」は、多数、一般大衆を意味し、「一」とは、一般大衆の取りまとめ役でリーダー、リーダーシップを意味する。つまり、「志」とは、理想を掲げたリーダーがリーダーシップを発揮してメンバーを引っ張っていくこと。そういう責務を持って、大欲(ビジョン)を全うすることだ。
欲を離れ、世の為、人の為に尽くすことである。

2019.04.19

#117「一灯照隅(いっとうしょうぐう)」

一つの灯火を掲げて一隅を照らす誠心誠意の歩みは必ず共鳴者が現れ、いつか万灯となる。だからまず自分から始めなければならない。
(*関連記事 #31「一燈を頼め」)

自燃型のリーダーたるものは、自らの心に火を灯し、どんな困難な目標でも、志に向かって、自ら信じる道を歩み続ける人物であり、例え、最初は、独りであっても、それを諦めずにやり続ければ、必ず共鳴者が現れ、支援や追随してくれる。そして、その志は、我欲・自我ではなく、利他の精神で、純粋な良心から来るものでなくてはならない。結果を求めるのでなく、目的・大義を追究することが大事である。

2019.04.18

#116「天に事(つか)うる心」

すべて何事をやるにも、天に事える心でやることが肝要である。人に誇ったり、認めてもらうというような私心があってはいけない。

西郷南洲翁遺訓に「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人をとがめず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」とあるが、同じ意味である。天を相手にとは、天に事うることと同意である。天に事うるとは天を敬して己を尽くす「尽己」ということで、人間の実生活において最も根本的で大事なことである。自分をごまかしたり、欺かずに、己を尽くすことによって人間は真実の自分となり明徳が明らかになる。これによって、自己は自ら立つところの一隅を照らすことができる。この一燈を提げ、挑むことが、この世に生きる人々に成しうる最も肝要なことである。

2019.04.12

#115「にせものになるな」

遊び怠けているのを許して、俺は寛大にしているなどと自分を偽ってはいけない。冷酷なことをして、相手を思う真心からやったなどと、ごまかしてはいけない。自分の欲心からやっているにもかかわらず、天下国家のためなどとうそぶいてはいけない。

人を監督する立場にある者などにこういう人がよくいる。部下が怠けて同僚のひんしゅくを買っているにもかかわらず、少しも忠告も指導もせず、俺は寛大であるなどと装っているのがいる。指導力のない無能な者に多い。そうかと思うと、重箱の隅をつつくような細かいことまで厳しく監督して誠実であると思っている者もある。また、表面は、世のため人のためと言いながら、私腹を肥やしている者もある。

真のリーダーは、誠の心(己に嘘をつかない、誤魔化さない)を持って、何事にも相対し、誰かが見ていても見ていなくても、陰日向なく、裏表なく、一生懸命に努力して対処することが肝要である。これこそが、本物である。