Message代表者メッセージ

2017.07.4

#29「自己喪失」

己を喪(うしな)うと、人を喪ってしまう。人を喪うと、財物も喪ってしまう(佐藤一斎:言志四緑-120より)

すべて事をなすには、自分ひとりでできるものはない。小にしては一家の経営から、大にしては大企業の経営、さらに国の政治・経済に至るまで、多くの人々の協力があって事が運ばれる。社長1人がいかに威張ってみても、幹部をはじめ従業員がついてこなければ経営はできない。その協力を得る中心は例えば会社なら社長自身である。これが駄目だと人の協力を得られなくなる。人の協力を得られなければ、事業経営はうまく行かない。従って物の生産もあがらず経済も破綻してしまう。すなわち「人を喪えば物を喪う」ということになる。一斎は人を喪い、物を喪う根元は「己を喪う」からであるという。己を喪うとは、あるべき「自分・自己」がくずれ、正常性をうしなってしまうことである。

政治も教育も、産業も経済も、結局は、その事に当たる人の徳によって運用されるものである。よって「自己喪失」は一切喪失の本であり、自己確立(自分づくり)こそが、一切成長発展の本である。

2017.07.3

#28「上に立つ者の心得」

組織のリーダーとして、人の上に立つ者の心得として、以下4つのことを実践したい

1.寛大であるけれども放縦に流れない
2.明敏ですべてわかっているが、細かい欠点をきびしくさがすようなことはしない
3.簡潔ではあるが粗雑ではない
4.果断でてきぱきやるが、あらあらしく道理にはずれるようなことはしない。

とかく寛大な人は放縦に流されてだらしなくなる。聡明な人は、重箱のすみを楊枝でほじくるように人の欠点を厳しくさがして冷たい。簡単に事をやる人は、粗雑できめ細やかさがない。思いきって事を決断する人は、とかく乱暴で道理に外れやすい。

2017.07.2

#27「六中観」

以下に、「六中観」(百朝集 安岡正篤著)を紹介したい。

【死中有活】
死のような絶体絶命の場に至った時こそ、生きる道が開けてくる。死んだ気で頑張れば、開けない道はない。
【苦中有楽】
苦しみと楽しみは、表裏一体。何かを成し遂げようと苦しむ中に実は、楽しみはある。苦しんでいるその事が実は楽しみである。
【忙中有閑】
忙しい時のわずかな暇な時間に、日頃やりたいと思っていた事をやると集中した充実した時間が持てる。多忙で何かをやる暇など全くないというのは、言い訳である。
【壷中有天】
人知れず、独自の別世界を現実の中に持つこと(趣味とか信仰など)
【意中有人】
何かをする時、何か起こった時、すぐに浮かんでくる友人や知人がいる。いつもつながりのある人物を心の中に持っていることは、人生の幸せである。
【腹中有書】
いつも読みたい本があり、また教訓を引き出せる自分を導くための書、手本というものを、自分の中に備えている。つまり、常に学ぼうとする心構えがある。そういう人はどこまでも向上していくことができる。

日頃からこの6つの観を留意するならば、どんな困難なことがあろうとも神経衰弱にはならずに、精神的に参ることはない。そして、心の平安と安定、張りのある生活が保て、人生をより豊かにすることが出来るであろう。

2017.07.1

#26「独立独歩」の意味

先ず「独」とは、単なる「ひとり」ということでなく、相対に対する絶対の境地を意味する。つまり、群衆に混ざって流されることなく、自己に徹することが、本来的な「独」である。

「独立」というものは何ら他に依存せず、自分自身が絶対的に立つということである。
「独歩」とは、群衆と一緒に歩くという意味ではない。自分が絶対的に自立自行するということである。人の厄介にはならない。自分自身が絶対つまり相対を絶することである。オンリーワンの自分を信じ、自主自立して歩くことが「独歩」である。

人は自己の絶対に徹して、はじめてあらゆる相対に応じることができる。
そういうことから、真の創業者、起業家は「独立独歩」の人と言える。

2017.06.30

#25「人の上に立つ者の最も慎むべきこと」

自分が間違っているということを人から指摘され、聞かされることを嫌がり、弁解したり、憤慨したりすることは、人の上に立つ経営者や組織のリーダーとして慎まなくてはならない。

そして、賢人(誠実で有能な人財)を見ても、それを挙げ用うることが出来ず、たとえ挙げ用いても、それを抜擢して、従来の人々の先に立てることが出来ないのは、上に立つ者の「怠慢」である。

同様にまた不善の者(不誠実で周囲に悪影響を与える人罪)を見つけても、それを退けることが出来ず、退けても遠ざけることが出来ないのは、上に立つ者の「過失」である。

2017.06.28

#24「志はまさに高遠を存し」

志、人間の理想、目的というものは、できるだけ高く、できるだけ遠く、高遠でなければならない。目先ばかりで低くてはいけない。何を考えているのかわからないようではいけない。組織の長として「自分は、こういうことに憧れているんだ」「こういう事を必ず達成するんだ」という理想・情熱をはっきりと存在せしめ、感情を表すことが大切である。感情はその人の全体の反映である。
理想を持つものほど、伸びるが、色々と妨害があって、思うようにいかない時に、感傷的になったり、激情的になってはいけない。あまりにも細かい、小事なこと、重要でないことは、捨て去ること。つまり、そのような小事は気にしないことである。

2017.06.23

#23「習慣は第2の天性なり」

習慣を別な面から言うなら躾けという。
どんなに生まれつきの資質、才能、徳、知能、技能を持っていても、悪習慣に染まるとこれは、どうにもならない。
朝起き、早起き、これを忘れないようにしたら一生繁栄する。
朝早く起きるためには、夜、早く寝ることである。実に簡単である。

2017.06.19

#22「人君 当令 リーダーになっても」

基本的にやっておくべき、技術や勉強は、続けなくてはいけない。
武士の時代なら、当然、君主であっても弓術、馬術、刀などの武術を日々、鍛錬しなければならなかった。こうした基本的な作業や訓練はやることによって心理的にも充足し、元気が出るものだ。「いざという時のために忘れないようにする」という意味だけではない。
リーダーが行うべき決断においてもそうした日々の行動は役に立つのである。

人の上に立つと、これまで以上に多くのことを求められる。責任も増え、人との交流も増え、時間も少なくなる。基本的な仕事を忘れた時、リーダーは大切なものを失うこととなる。
つまり、現場がわからなくなる。昔、自分がやっていた頃の古くておぼろげな記憶だけで判断するようになる。人の記憶はあやふや、しかも時代は変わる。
だから、基本的な仕事を忘れたリーダーは危うい。

2017.06.12

#21「生きがいのある生活を送るには」

昨今では、「ワークライフ・バランス」や「ライフキャリア」という類の言葉が多く、聞かれるが、端的に言えば、「生きがいのある生活」をいかに毎日、過ごすかに尽きる。

「大學」では、生きがいのある生活とは、「食うに困らぬ生活」であることは、当然ながら、「不安動揺のない、安定した生活」であり、「張りのある生活」と言われる。この「張りのある生活」とは、何かに強く引きつけられている状態、或は、自分を何者かが引っ張り寄せている状態を言う。これ即ち、人生の目的、理想、志に自ら引っ張られて、感激を持って歩み続けて、已まぬ姿である。寝ても覚めても使命感を持って仕事や生活が出来ることが分かったとき、張りのある人生が始まることを言う。そして、「今を精一杯、生きること」「生きていることに素直に感謝できること」これが充実した生きがいある生活と言える。

2017.06.11

#20「経之妙 正しい道」

原理原則を熟知して、うまく利用すると臨機応変に対応できる
つまり、原理原則は、正しい道として、普遍的にそこにある
それをうまく利用する方法が、臨機応変につながるわけだ
臨機応変な対応は、原理原則と同じ
決して、原理原則を変えて、臨機応変に対応するのではない

従って、事業経営者、リーダーとしての「仕事の原理原則」「判断・決断する際の原理原則」そして「生き方の原理原則」を追究し、極める必要がある