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Message代表者メッセージ

2019.09.18

#139「重職心得箇条⑤:佐藤一斎」

「名分を正しくすること」とは、役職や地位、身分には必ず守らねばならない本分、その人が本来、果たさなければならない務めがある。これを1つひとつ正していくことが、とても重要である。
全てのポジションの人が、自分の本文を正しく認識して、それを真摯に実行してくれれば、国家も会社も組織も絶対にうまくいくものである。重役であってもその本分を正しく実行している人は、ごくわずかでしかないところに問題が生じる。
だから、経営者や組織のトップは、全社員の当事者意識の醸成とそれを維持し定着させる構造しくみを組織内につくり、機能させるが求められる。

2019.09.18

#138「重職心得箇条④:佐藤一斎」

組織における有事、特に、重大事の時は、それこそ百事が、様々な部門でいっせいにスタートするわけで、リーダーは、それを統率しなければならない。しかも、その多くの事柄がことごとくうまくいかなければならないから、「落ち着け!静まれ!この程度なら大丈夫!全責任は私にある。どんな責任も私がとるから、君たちは、何事も心配しないで、思う存分、自分の職務に立ち向かってくれ」とこういうべきである。
このリーダーの言葉が、当然、起きた重大事に騒然としていた内部を鎮定することが、人心を静め落ち着かせることになり、それこそが重職の名に叶うこととなる。

2019.08.28

#137「重職心得箇条③:佐藤一斎」

重職として、緊急にすぐに対処すべきときの注意点は何か? それは、「応機」である。

この「応機」というのは、タイミングを要求されることで「真っ先に行うべきこと」「指示すべきこと」があり、これこそが重要。そしてそのタイミングというものは動きがあるから、よく観察して計らなければならない。後々、どのようなことになるか予知予測し、思い描いてみること。例えば、「このことは、このようにするならば、A氏を困らせることになる」「これはこうするべきだが、そうすると後々、自分が責任を負わなければならなくなる」など、こうやって正当な行いがどんどん曲げられていくと、結局は、うまく進まなくなって、埒が明かなくなって難渋することになる。

初動」こそが重要であるから、何にも拘束拘泥することなく、リーダーとしてこれぞ正当と思ったら、惑わず、どしどしその通りに推し進めることが肝要である。

2019.08.27

#136「重職心得箇条②:佐藤一斎」

経営の要諦は、「大事」と「小事」、「軽視してよい事」と「重大事」を区別することである。

非常時に、遭遇したら「緊急に行うべきこと」「重要として扱うべきこと」を迅速に区別し、順序づけを行うこと。ゆっくり過ぎても急ぎ過ぎても駄目である。そのためには「着眼を高くして総体を見廻すこと」が大事なポイントである。

2019.08.27

#135「重職心得箇条①:佐藤一斎」

重職というものは、国家や組織の重要にして重大事を取り計るためにいる役職であるから、重役の立場にいながら、重要にして重大事を取り扱わずに、軽い仕事しかしないというのでは、重役とは言い難い。

重要、重大事などは、いつ起こるかわからない。だから、常に緊張感を持って職に当たるべきで、油断などをしてしまうこと自体が、すでに重職の適任者でないことを表わしている。そして、重職は、組織の重要にして重大事を取り計るわけだから、まずその挙動、言動から重厚にして威厳を養わなければならない。但し、この威厳というものは、即席で身に付くものではない。したがって重役になってから慌てて養うものでなく、ずっと以前から心掛けて、養成するものである。

2019.08.26

#134「敬天愛人」

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねべし(南洲翁遺訓)

(訳)
人の心はうつろいやすいもの。自分はそうした人を相手にするのをやめて、天を相手にする。天はすべてを見通してくれるが、それだけに嘘はつけないから、いつも全力投入して、誠を尽くしてやるだけである。「尽己」である。

狭い人間世界にこだわるのではなく、広大無辺の天を相手にしなさい。天の示す道を実現すべく全精力、精神を傾け、人を咎めたりせず、自分に真の心が不足していることを認識すべきなのだ。

2019.08.26

#133「義」と「勇」

士の道は、「義」より大なるものなし。「義」は「勇」に因って行われ、「勇」は「義」によって長ず(吉田松陰)

(訳)士、立派な人物は何よりも「義」、筋道を立て、私欲を捨て、公益のために生きることを貫くものである。「義」は真の「勇気」によって実行され、「勇気」は「義」によって成長し、強固になる。ここでいう士とは、経営者であり、リーダーである。

2019.08.22

#132「私心を捨てる」

リーダーは公私のけじめをつけ、公のために生きなければならない。

会社の業績が芳しくないと嘆く経営者の話をよく聞くと、その経営者自身に問題があるケースが少なくない。簡単に言うと、そういう人は会社よりも、自分のことを大事にしている。だからうまくいかないのである。事業を成功させて業界で一目置かれたいとか、株価を上げて自分の資産価値を高めたいと、虚栄心を満足させることや自己利益の拡大が働く目的であることが透けて見えてしまう。
経営者が私欲のために働くような公私混同をしていたら、うまく行く方がおかしい。

私心などかなぐり捨て、会社という公のことをひたすら考えて行動する。
そういう高潔な人物がトップにいない会社は、どこかで行き詰まってしまうものである。

2019.08.20

#131「リーダーの究極的な精神とは」

リーダーに必要な究極の精神、考え方は3つである

1)自己犠牲の精神

2)利他の精神

3)ノーブレス・オブリージュの精神

とは、身分の高い者は、それに応じて果たさねばならぬ重い社会的責任と義務があるという欧米社会における基本的な道徳感。もとはフランスの諺で「貴族たるもの身分に相応しい振る舞いをしなければならぬ」「貴族に課せられた義務」の意。当時の貴族には多くの特権も与えられたが、彼らには戦争となれば率先して最前線に立って命懸けで戦う義務も課せられた。「人の上に立ち権力を持つ者には、その代価として身を挺してでも果たすべき重責がある」

以上、いかに世の為、人の為にこの3つの精神で事を成せるか?である。

2019.08.20

#130「道 義」(言志四録/佐藤一斎)

「義」というのは、自らの良心が正しいと指示することを行うことである。
われわれの行為で、何が宜しいか、何が宜しくないかを判断する本は良心である。
その良心に従って行動することを道義という。これが道の根幹である。その道義の根は、いろいろの枝葉となって発する。
物事の処理や、人に接する場合、どうすることが宜しいか宜しくないかを判断して行うという義もある。その時々の問題にどう対処して行くのが宜しいか、宜しくないかを判断して処理するという義もある。自分の信念・節操を、良心的に、気のすむように守ってゆくという義もある。何か事変が起こったとき、この道を行くのが宜しいと判断して行動する義もある。

これらを統括する源泉は道義である。義は道によって行われるものである。

経営者としてこの道義を間違えてはいけない。そして基となるこの義を極めることが肝要である。