2018.04.18
#83「民に親しむ」
大学の三綱領の2つ目「民に親しむ」について解説したい。
「親」は「したしむ」と読む。これは「浸す」から来たもの。「布を水に浸す。それで一体になる」という意味。相手や物と一体になること。明徳が明らかになると、世の上に立つ人であれば、直接関係のない人であっても、おのずから一体感を感ずるようになる。そういう直接に関係のないところまで一体感を感じて処置をしていくのが「親しむ」である。だから「明徳を明らかにして、民に親しむ」とは、別個のものでなく、1つのものである。
明徳が明らかになった状態はどういうものかと言うと、今まで別個だと思っていたものの間に通じる心が生じてくる。この通じる心が一体感という。この一体感を「仁」という。人偏に「二」と書くが、「二人の間に通ずる心」という意味になる。子供が生まれた途端に親心が生まれる。子供を育てていく、大きな根本的な働きになっている。このような親心を持てる人のことを「大人」という。父親として、奥さん、子供達と一体になるのが家大人。社長として社員と一体のなるのが社大人。部長・課長として部下やメンバーと一体になるのが、部・課大人。教師として生徒たちと一体になるのが学校大人。日本においては、国民と一体感を持ってこれに接しようとする範になる方が天皇である。だから天皇家は皇室に男の子が生まれたたら必ず「仁」の一文字がつけられる。生まれながらにして国民と一体になることを理想としている。
またこの「民」を人のみに限定せず、稲を作る農民は、稲がその「民」であり、家を作る大工は、家がその「民」であり、ピアノ演奏者であればピアノがその「民」であるとして、「民に親しむ」を、自分の仕事の対象となるものに親しむことにも拡大し、応用できるのである。
「親しむ」とは、相手や対象となる物と一体になること。「親」の反対は「疎」で「疎遠」「疎外」という言葉の通り「うとんずる」「とおざかる」の意味であり、相手から遠ざかり、離れることをいう。だから「民に親しむ」とは、自分の仕事の対象となるものから、遠ざかったり、離れたりせずに、そのものと一体になることである。そうでなければどんな仕事でもうまくいくものではない。