大学の三綱領の3つ目「至善に止まる」について解説したい。
ここでいう「善」とは、「善い・悪い」「あれはいい、あれは悪い」というように状況や相手によって変わるものではない。相対的なものでなく、絶対的なもので「不変的なルールに沿っているものが「至善」である。
「至善に止まるということを知る」とは、「何が正しいかということがはっきりとわかる」ということを意味する。
善悪と正しいは異なる。「善悪・いい悪い」は、相手と時において変化していく。そういう関係を相対的な関係という。それは「二」である。ところが至善に止まるというのは「一」であり「絶対」である。「至善」は一なる世界のものである。そこで「善に至って止まる」とは「一に至って止まる」と同じ意味で「正」という字につながる。従って正しいということは、道理・道義にかなっているかどうかで決定される。それ以外の基準はない。
天には天のルールがある。これを「道」という。地には地のルールがある。これを「理」という。これを併せて「天道地理」つまり「道理」という。人には人のルールがある。これを「義」であり「道義」という。これを踏み外したら人間失格というものが「義」であるから、正しいことは義にかなっている。これを「正義」という。この義にかなわないものを邪という。この義というものも「一」であり、絶対ということになる。つまり、「道理」「道義」は「一」であり、絶対であり、時代を超え、国境を越え、民族を越えて変わらないものである。
以上が、考え方になるが、より実践的に言うならば、
高い志・理想に向かって、努力精進し、一歩また一歩、確実に歩み続けることを意味する。理想追求の前進であり精進である。止まるとは、ステップ・バイ・ステップ(歩み続ける)であってストップという意味ではない。