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Message代表者メッセージ

人生2度なし、悔いなく生きる

代表者が、本事業を営む上での、考え方、指針、思いを日々、新たに綴っていきます。

そして「人生2度なし、悔いなく生きる」を人生の目的・志 に掲げた代表者が、東洋哲学(古典)を基盤に独自の持論と理論を展開していきます。

企業の経営者、様々な組織や団体のリーダーの「知識・見識・胆識」と「論理・情理・道理」の指南書となり、勇気と実行力の推進となることを祈念してメッセージを発信していく所存です。

是非、ご質問、ご意見、ご要望がございましたら、ご教示頂き、お気軽に問い合わせ頂ければ幸甚です。

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2018.02.11

#66「生涯の仕事」

現在の仕事を自分の生涯の仕事にすることが大切である。
もし、現在の仕事が生涯の仕事とするに足りないと思われれば、できるだけそれを生涯の仕事にするに足りるように研究するか、更なる創意工夫と努力をすることである。我々の心構えと努力いかんによっては、どんな小さなことでも、生涯の仕事とするに足りるものである。いかなる小事もトコトン深く入っていけば、無限に世界が開ける。
従って、自らの仕事を極めるべく、誠心誠意(誠の心を持って)取り組むことが肝要である。
*誠の心とは「自分に嘘をつかないこと」である。

2018.02.10

#65「天職と転職の違い」

「天職」と「転職」は違う。天職は「義」であり、転職は「利」であると言える。

「天職」とは、「天に与えられた職」と書くが、自らが使命感とやりがいを確信できる職業を指す。つまり、天から与えられた使命(天命)として、自他ともに認める適職である。これを見つけた人は、疲れを知らず、長時間働いても苦にならないので、やらされ感はなく、自らの意志と責任で業を成すことができる。しかしながら、最初から「天職」などはなく、今、やっていることから創意工夫して、創っていくものであり、探すものではない。

一方、「転職」とは、職業を「転々」と変えていくことで、それを続けてしまうとキャリアに一貫性がなくなり、人間的にも我慢がなくなり、「自分探し」の漂流者になってしまう。
大事なことは、「転職」ではなく、これまでの経験キャリアと専門性を持って、会社を変える「転社」をすることによって、能力は磨かれ、組織への貢献と成果が「天職」を創ることとなる。

自分の仕事にひたすら打ち込んで、それを楽しむという境地に到るまで続けられるとしたら、それは「天職」であり、最高の人生と言えるであろう。

2018.02.5

#64「事業家と夢想家の違い」

起業家の中には、夢想家がたくさんいる。なぜ彼らが事業家になれず、夢を見るだけの夢想家で終わってしまうのか。それは「知識がない(勉強が足りない)」「言葉だけで勇気を持った実行力がない」「戦略がない」からである。事業家は、いかに戦略を持って、描いた夢を実現するかが問われるが、知識がなければ戦略は策定出来ないし、知識を発展させて実行力を伴う見識(=胆識)に高めることも出来ない。これでは夢の実現など絵に描いた餅も当然である。また事業家は、ひとつの目的を達成して満足感を得て「よかった、よかった」で終わりにするのではなく、「世の為人の為」という大志を持って夢を膨らませ、夢を抱き続ける。その前提となるものが「野心」ではなく「志」であり「大義」を分かって決断し、実行できるのが、真の事業家である。

いかなる素質、才能があっても、志がなければ人物としては失格である。言葉を変えて言うなら理想だ。理想を持たない人間はこれはもうしようがない(安岡正篤)

2018.02.3

#63「野心と志の違い」

「野心」と「志」は違う。「野心」とは「私利私欲」の為に掲げる野望であり、自己満足的な目標である。他人と比べて自己の優位性を誇示するもので、物欲からくる願望である。
一方で、「志」とは「世の為、人の為」であり、着眼点は、目の前の損得からくるものではなく、将来に向けて、社会や世の中を良くするための大義である。そこには「無私の精神」が根底にあり、まさに西郷南洲が志として掲げた「敬天愛人」がそれである。

2018.02.2

#62「人間関係を円滑にする基本が礼である」 

前項で、「挨拶の重要性」を記したが、会社であれば社員同士あるいは、社員と会社の関係を円満に調和させ、秩序だったものにするのが礼である。朝、出社した時に「おはようございます」と挨拶が出来ないとか、廊下ですれ違っても頭ひとつ下げられないようでは困る。エチケット&マナーといった礼儀作法には人間関係を円滑にするという重要な役目がある。

「礼に始まり礼に終わる」というのは武士道の精神であるが、それは人間関係の基本的な在り方である。挨拶ひとつ出来ない者に、大きな仕事が出来るはずがないのである。

2018.01.8

#61「挨拶の意味と効用」

挨拶は、「心を開いて、相手にせまる」ことであり、挨拶の「挨」も「拶」も、直接の意味はぴったりとぶつかる、すれ合うということである。従って物を言うのに、相手の痛いところ、痒いところへぴったりと当たる、これが挨拶である。

挨拶をすることによって、人間関係が良好に保てる。正しい挨拶のしかたとしては、「あかるく」「いつでも」「さきに」「つづけて」がポイントある。特に「相手よりも先に自分から行うこと」と「相手に聞こえるように大きな声で」さらには「相手が気持ちよく受け取ってくれる」挨拶こそが、相手に対する礼節につながる。

職場で、家庭で、地域コミュニティーで、正しい挨拶を率先していきたい。
経営者、リーダー、父親、夫、息子として、相手から言ってくるのを待つのではなくて、自ら率先して、「おはようございます」「こんにちは」「お疲れ様です」を相手よりも先に率先して、言うことが大事である。仮に相手が、何も言わず、反応しなくても、止めずに続けるならば、必ず、相手も挨拶をするようになる。そして、それを百日も続けたならば、職場も家庭も会社も、そして社会も変わるであろう。

2018.01.6

#60「新年の意」

新しい年、2018年、平成30年が始まった。新年を迎えるにあたって、「新」という字の真の意味を解説したい。
元来この字は「辛」と「木」と「斤」との組合せである。辛は努力を意味し、斤は木を斬る「まさかり」「オノ」であり、「斤斤」といえば明らかに見分ける、いつくしむ(慈愛)の意がある。
即ち、「新」とは「よく木を愛し育て、それを努力して加工し、あらたなものとして活用する」ということを表わすものである。

目先の変わったものめずらしいこと、流行や時流に乗って、思いつきで新しいことを行っても結果は出ないし、長続きはしないであろう。
本当に新しくするのには、周到な用意と努力を要するわけで、そんなに簡単なものではない。

年の初めに勉強しなくてならないことは、先ずもって、己自身をどう維新するかということをよく考えることから始めることである。そして、ビジネス成果や人間関係において、あらたな価値を創造するために、自分が始めること、行うことを深く考えることが大切である。
*維新とは維(これ)新たにすることであり、これまでのことをちょっと変えて行うことではない。

2017.12.13

#59「やる気を削ぐな」

頑張っている部下に対して、上司は、励まし、誉めて、導くのがいい。
たまには部下が、上司の意見に沿わないことをするかも知れない。
だが、頭ごなしにそれを否定してはいけない。
少しずつ、様子を見ながら、部下の考えや方法のまずい部分を教えていくことだ。
そうしないと、やる気が削がれて、折角の頑張りも失せてしまうだろう。

2017.11.24

#58「目の前のことをする」

つい私たちは、目の前にあることをきちんとやらず、将来のことを漠然と考えたりする。
旅へ行くなら、いくら行き先のことを考えたところで、とにかくどこかに向かって一歩踏み出すしかない。先ずは、目の前にあることをきちんとやること。そして仕事があってもなくても、きちんと変わらずに生活すること。仕事をするときは、わきまえながら、間違えないようにする。
その時々の問題を解決していけば、将来にわたってもうまくいっているはずである。

2017.11.23

#57「人の問題は軽く」

人と人の間の問題、揉め事は、深く考えてしまうと対応を間違えてしまうことがある。
多くの場合は、むしろ軽くみて、さっぱりと対応すればポイントを外すことはまずない。

「軽くみる」とは、「軽視」することとは違って、もっと心の中の「普段着」の部分で解決をしたほうが、うまくいくよ、ということを言っている。つい、人間関係は、周囲が慌ててしまったり、過敏に反応し過ぎてしまって「こうしなければならない」「こうあるべき」といった議論に突入し、結局は、うまくいかない的外れな解決に走ってしまうことが多々ある。

もつれた糸をほどく方法は1つしかない。
先ず、もつれた具合をよく観察すること。そして少しずつ、時間をかけてほぐすことである。