人は得意の時は口数が多く、失意の時は態度が動揺して落ち着きがない。これは皆修養の足りないことをあらわすものである。
人間は逆意(失意)の時に遭うと、しょげて心が動揺しやすいが、そうしたときにも惑わず泰然として運命に処してゆくのが、実は学問修行である。
#12に記した荀子に「それ学は通(栄達)のためにあらざるなり、窮して困しまず、憂いて心衰えず、禍福終始を知って惑わないためである」とあるのはそれをいっているのである。
明末の碩学、崔後渠(さいこうきょ)の「六然」に次のような名言がある。
自ら処する超然(ちょうぜん) 自分自身では何事にも捕らわれずに居る
人に処する藹然(あいぜん) 人とは気持ちよくつきあう
有事には斬然(ざんぜん) 何か事件の起こったときにはきっぱりする
無事には澄然(ちょうぜん) 無事の際はすみきって居る
得意には澹然(たんぜん) 得意の時にはあっさりして居る
失意には泰然(たいぜん) 失意の時にはどっしりと落着いて居る
これが修養した人間の態度というべきであろう。
この「六然」は、勝海舟を始め、古来、座右銘として尊重するものが多かった。
組織のリーダーたるものは、この「六然」をロールモデルとして、取り組み、実践されたい。