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Message代表者メッセージ

2017.12.13

#59「やる気を削ぐな」

頑張っている部下に対して、上司は、励まし、誉めて、導くのがいい。
たまには部下が、上司の意見に沿わないことをするかも知れない。
だが、頭ごなしにそれを否定してはいけない。
少しずつ、様子を見ながら、部下の考えや方法のまずい部分を教えていくことだ。
そうしないと、やる気が削がれて、折角の頑張りも失せてしまうだろう。

2017.11.24

#58「目の前のことをする」

つい私たちは、目の前にあることをきちんとやらず、将来のことを漠然と考えたりする。
旅へ行くなら、いくら行き先のことを考えたところで、とにかくどこかに向かって一歩踏み出すしかない。先ずは、目の前にあることをきちんとやること。そして仕事があってもなくても、きちんと変わらずに生活すること。仕事をするときは、わきまえながら、間違えないようにする。
その時々の問題を解決していけば、将来にわたってもうまくいっているはずである。

2017.11.23

#57「人の問題は軽く」

人と人の間の問題、揉め事は、深く考えてしまうと対応を間違えてしまうことがある。
多くの場合は、むしろ軽くみて、さっぱりと対応すればポイントを外すことはまずない。

「軽くみる」とは、「軽視」することとは違って、もっと心の中の「普段着」の部分で解決をしたほうが、うまくいくよ、ということを言っている。つい、人間関係は、周囲が慌ててしまったり、過敏に反応し過ぎてしまって「こうしなければならない」「こうあるべき」といった議論に突入し、結局は、うまくいかない的外れな解決に走ってしまうことが多々ある。

もつれた糸をほどく方法は1つしかない。
先ず、もつれた具合をよく観察すること。そして少しずつ、時間をかけてほぐすことである。

2017.11.22

#56「知識と創造」

知識は自分の外側から入ってくる。
何かを工夫したり、創造することは自分の内側から出てくる。
自分の内側から出てきたものは外側で試してみることだ。
外側から入ってくる知識は、自分の内側に照らしてよく考えてみることだ。

2017.10.27

#55「我以外皆師」

人間誰しも、対人関係で悩み、行き詰まることはある。特に、苦手な人や嫌いなタイプとも仕事をしなくてはならない時などはそうである。そんな時に、参考にしたいのが「我以外皆師」という言葉である。この意味は、自分の憧れる人やロールモデル、先生だけを指すのではなく、反面教師となる人からも大いに学べるという意味である。つまり「ああなってはいけない」と教えてくれるのである。また、その時は、嫌で嫌いでも、長い目で見た時に、自分を鍛えてくれた、違う可能性を引き出してくれたと感謝の念を持てるのである。だから自分以外の人は、皆、先生と思って付き合うことが、結果的に自分を成長させてくれるのである。

2017.10.16

#54「運」「鈍」「根」

昔から成功の秘訣として「運」「鈍」「根」の3つがあげられる。
「運」とは時の運勢に乗じることであり、「鈍」とはいたずらに利口ぶらずに世の利口者に比べれば「鈍」とも見えるような態度でやることであり、そして「根」とは根気強く飽きずにやり通すことである。
ここでいう「鈍」と「根」を例えて言うならば、ウサギがピョンピョンと河の表面をとんでいくのに比べれば、ゾウガメが、河の底まで徹して踏みしめつつ、のそりのそりと河をわたる姿は、どう見ても利口者とは見えないが、その「鈍」とか「根」とかに通じるような在り方に尊いものがある。

「止まる」とは「歩む」ことである。後ろ足をしっかり止めるからこそ、前足が勢いよく踏み出されるものであり、木の根がしっかりと大地に定着しているこそ、枝葉が勢いよく生長していくことが出来るようなものである。

2017.10.15

#53「仁」

仁とは、「二」と「人」を組み合わせた文字で、自分1人さえよければ相手のことなどかまわぬという我利我利亡者ではなく、自分も相手も「二人」共に生きようとしていくのが「仁」である。人間関係はこうありたい。

2017.09.25

#52「明鏡止水(めいきょうしすい)」

リーダーとして、自省し常に心掛けたいこととして「明鏡止水」という荘子の言葉がある。

「明鏡」とは、一点の曇りもない、よく映る鏡のことで、「止水」とは、流れずに静かに止まって、澄んだ水面のことをいう。つまり、曇りの無い鏡と澄んだ水面のように、安らかに落ち着いた心境を意味する。

正しい心や自分の良心を保つためには、正常な鏡を澄ますことである。この良心という鏡はうっかりすると曇ってしまう。我々は、人の顔は見えるが、自分の顔は、見えない。自分の顔を見ようと思えば鏡に映してみなければならない。その鏡が曇っていたら正しくは映らない。鏡が曇ると物事が正しく判断することができなくなってしまう。だから、いつも自分の心の鏡を曇らせないように澄ましておかなければならない。

2017.09.24

#51「格物致知(かくぶつちち)」

何かを成し遂げるためには、その対象となる物や事について、深く探求して本質としての*理(ことわり)を窮めることが大事である。そのためには、その対象となる物や事に親しみを持ち、自分自身と一体にならないと物事は視えてこない。これを「格物」という。「物を格(ただす)」ことによって、その結果、「物に格(いたる)」のである。
*理とは:物事の筋道、条理、道理、当然のもっともな理由

「致知」とは、人間が元来、持っている良知良能(良心としての知能)を極めること。
つまり、その物や事への対処、アプローチとして、 正しい良心(道徳的判断)を以て、正しい態度でその物事に対処することが、「致知(知に致る)」という。

このように、物事の本質を見究めて、正しい心で、正しく判断し、正しく対処していく要諦を大学では、「格物致知」という。

2017.09.23

#50「幸福な人生とは」

「幸福な人生」とは、その人が一生の間にどれだけ「幸せだ」という感情を持つことができるかによって決まるもの。こう考えると順風満帆の時もそうでない時も、その時「どう感じるか」が重要となってくる。つまり、今、この瞬間をどう思うかなのである。今を幸せと感じられるならば、人生は「いま」の連続体なのだから、一生が幸せなのである。

寝床につくときに、翌朝、起きることを楽しみにしている人間は、幸福である。