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Message代表者メッセージ

2017.05.23

#9「能容人者-批判できる人」

人の意見や考えを受け入れることができる人間になって、はじめて人を批判できる。
そういう人からの批判なら誰もが受け入れるはずだ。
人の考えや意見を聞かない人に、人を批判する資格はない。
そういう人からの批判は、誰も聞かないだろう。
先ずは、聴くこと。それが出来てないうちは、批判ばかりしてもしょうがない。

経営者や組織のリーダーとして、上に行けば行くほど、社内ではフィードバックされる機会が少なくなってくる。ましてNo2や側近がイエスマン或は忖度者ばかりであれば独断的なリーダーになり兼ねない。他者の話をじっくり聴けるリーダーでありたい。その上で、建設的な意見を述べて、どんな相手とも対話が出来て、論理と情理そして道理(道義)に基づいた判断をして、実行することが肝要である。

「現代の帝王学(伊藤肇 著)」では、トップに必要な3つの要諦として、1つ目に「原理原則を教えてくれる師を持つこと」2つ目に「直言してくれる側近を持つこと」3つ目に「善きメンターを持つこと(利害関係のない第3者に何でも話せて聴いてもらえること)」が挙げられている。
トップの舵取り、判断、意思決定を間違えると組織は致命的なことになり兼ねない。この3つは、とても大事なことである。

2017.05.20

#8「大臣之職トップの役割」

トップは、根本的なところだけに力を注いで、日常的な細かいところは、これまでの踏襲であってもよいだろう。
部下、周囲の社員、世の中の人たちが、言いたくても言えないことを敢えて言う必要があったり、これまでのトップでは、対応できなかったようなことを実行したりすることは、年に数回あるであろう。そこにトップの役割がある。

細かいことにこだわり過ぎて、あれこれとやり方を変えてみたりして、部下を混乱させたりすることは、やってはいけない。年数回の、大きな出番をしっかりやる。そのためには、小事にこだわり過ぎないこと。それがトップの役割である。

2017.05.18

#7「事業と人物」

単なる人材と人物は、異なる。
事業を営む指導者リーダーの「人物」としての内容を以下に説明したい。

古来から、人物といわれる人には、根本に気力・活力・気概・気魄・骨力というものがある。これはあらゆるものを産み出す創造的エネルギーであるから、現実に甘んぜず、必ず、実現しようとする何物かを発想する。即ち、理想、志を持つようになる。この理想を持った気力を「志気」という。この志気は、旺盛でなければならないが、現実のさまざまな、問題や矛盾抵抗にあっても、折れず、挫けずに一貫性、持続性、不変性をもたなければならない。これを「志操」という。そして、それを実践して締めくくれることを「節操」という。理想を持ち、一貫不変の節操を持って生きる人は、単なる認識ではなく、何が宜しいか(義とするか)何が宜しくないか(利となるか)という、高い価値判断が出来る。これを「見識」という。見識は勇気を持って実践する行為とならなければならない。その決断力、実行力を持つとき、これを「胆識」という。このように、人間が旺盛な理想精神を持ち、節操・見識・胆識ができて来ると、そこに人間の大きさが生まれて来る。多くの人を容れることが出来る。具体的には、人生のいろいろの悩み、苦しみを受け入れて、ゆったりと処理して行ける。これを「度量・器量」という。人間が、このように、洗練されてくると、その人らしい独特な品格、風格が出てくる。それは、人格の調和であるから柔らかに和やかに、なんとなくリズミカルになる。これを「風韻」「格調」という。即ち、格調の高い人になる。これは造詣の深い人にて、初めて到達する境地である。

以上が、「運命を創る 安岡正篤著」で説明されている内容であるが、事業経営者や組織のビジネスリーダーとして考察するならば、上記の内容に加え、皆を率いて、結果や成果を出せることが、株主やステークホルダーから求められる。しかも1度や2度の成果ではなく、持続して結果を出し続けて、周囲からリーダーとして認められ、信望が得られることとなる。

2017.05.17

#6「災厄は、トップの責任」

もしも、災厄が、地位の低い人たちによって引き起こされると思っているとすれば、それは滅びる組織のトップの考え方である。優れたトップになるのなら、そんな考えは、持ってはいけない。
災厄は、地位の高い人たちによって引き起こされるのである。もし地位の低い人たちが起こしたとしても、それもまた高い人の問題なのである。
    
リーダーシップの根幹は「責任」にある。責任というものは、どんな人にもあってどんな人にもない不思議なもの。 では、責任の重さは誰が決めるのか? 本来、それは上に立つ人は、特にそうだが、自分で重さを決めなくてはならない。自分の責任が重いものだと思えば、それなりの行動をし、その重さを示す。こうしたことを全て含めて「責任」と言える。
無責任に生きるのも方法であるが、自分で引き受けられる重みの責任を負う行き方を選択することが自立した人間の生き方である。さらに、その責任を最大限まで拡大する、あるいは無限大に拡大しようという人が人の上に立つ人の生き方なのである。

そのポジションにいながら「それは俺の責任ではない」と言ったら、もうそのポジションを放棄したのと同じことである。

2017.05.16

#5「人生2度なし 悔いなく生きる」

人生というものは、2度と繰り返すことのできないものである。
だから、自分が持って生まれた能力を、ぎりぎりのところまで発揮した上で、棺桶に入るくらいの意気込みがなくてはいけない。つまり、棺桶の底を突き破るくらい強い生命力を持って、この世を終えるんだということが、大事ではないだろうか。2度とない人生だから、できるだけ後悔しないような生き方をしなくちゃいけないという気持ちが、50歳を過ぎて分かってきたような気がする。

2017.05.15

#4「自分と自我」

自分と自我の意味は異なる。
先ずは、「自分」の本来的な意味を説明したい。自分の「自」とは、「独自」の「自」を意味する。つまり、独自性、オリジナリティがあり、個性を打ち出すということである。次に自分の「分」は、全体の「部分」を意味する。世の中、全てがそうであるが、1人では生きられない。また独りよがりになってはいけないという意味も含まれる。独立したとしても、顧客や取引先、サプライヤーとの協力関係があって成り立つわけであるから「自分」は全体の「部分」と捉えなくてはならない。この両方の意味が一体となって、本物の「自分」がつくられるので、自分らしさ、独自性を出しながらも全体との調和、周囲との協調を心がけることが肝要である。まとめると、ある者が独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する。その円満無碍(むげ)なる一致を表現して「自分」という。われわれは、自分を知って、自分を尽くせば善いのである。自分がどういう素質能力が天賦されているのか、それを称して「命」という。これを知るのが「知命」である。知ってそれを完全に発揮していく、即ち自分を尽くすのが「立命」である。

一方で「自我」は、我が儘な自分であり、自己中心的な意味がある。「我」とは、「手」と「矛(ほこ)」を合わせた字であるから、矛を手に「寄らば斬るぞ」と自分を守っている姿が「我」である。その姿は、自分の殻に閉じこもって自分を守っているように見えるところから「あいつは頑固だ」ということになる。また、「私利私欲」という言葉があるが、「私」という字は、のぎ偏の「禾」に「ム」がついて文字になる。この意味は、主食である穀物(禾)を人に与えずに、肱を曲げて自分のほうに引き寄せる(ム)という行為から来たのが「私」である。つまり、相手のことを考えない自己中心的な意味合いを持つ。

従って、「自我」を出すのでなくて、普段の経験や人との出会いから「自分」をつくり、「自分」を打ち出すことが大事である。事業経営者は、「利他の心」や「無私の精神」を持つことと言われる所以がここにある。

2017.05.14

#3 「会社のロゴ」の意義

会社のロゴは、ビジョンや経営理念を視覚的にビジュアルで表現する「コーポレート・アイディンティティ」であり、創業者や事業経営者にとって、大切なメッセージである。その意味は、ストーリー的に伝えられなければならない。 以下にて、弊社、リーダーシップ・ブレインズ㈱のロゴの意味をストーリー的に説明したい。

先ず、色(コーポレート・カラー)は、赤であるが、情熱の赤であり、リーダーたるものは、自分で自分を燃やすことが出来る「自燃型」であるべきというメッセージである。どんな困難な局面であっても、自分の心に灯を点けてセルフ・モティベートし、目的と目標に向かって前進し続ける集団であることを意味する。そして、その一灯が二灯となり、三灯となり、いつしか万灯となって、一隅を照らすようになる。そのためには自分自身が明かりにならなければいけない。自分自身が発光体になる。そうした誠心誠意の歩みを続けると、一灯が万灯となりいつか必ず共鳴する人が現れてくる。

次に、Lの字が5本の線で描かれているが、これは、所謂、リーダーシップのLを意味する5本のロード(道)である。5本の内、どの道を辿るのか?上り坂を昇るのか?下り坂を降りるのか?インコースを選べば早く着くが、途中にL字の急な曲がり角がある。アウトコースは、距離は長いが、緩やかなカーブである。どの道を選ぶかを、リーダーは決断しなければならない。そして、1度、決めたことは、断固として実行し、最後まで諦めずに、コミットメントしなければならない。何れにどの道を選んだとしてもその中で最大のパフォーマンスを創出することがリーダーには、求められることを意味する。

最後に、ロゴの形であるが、白地に赤で「和」であり「ニッポン」の日の丸のイメージである。当社は、日本の企業であるが、形は、丸ではなく、四角でPC画面をイメージ(インターネットは国境を超える)し、グローバルに市場を捉えて事業経営を行うことを意味する。5本のLは、5つの事業サービスを5人のブレイン(ビジネスパートナー)で、世界5つの地域リージョンで活動するグローバル・カンパニーを将来的には目指す。また形は四角であるが、角が丸いのは、形式ばらずに、敏捷(アジャイル)に異文化にも対応し、建設的な対話と信頼を重視したビジネス関係を持続的に構築していきたいという思いがある。

そんな思いと価値観を形にし、視覚化したのが、このロゴである。
創業者や事業経営者が示し、伝え、皆をビジョンで巻き込み、活力を与え実行させることが出来得る旗印が会社のロゴである。

2017.05.13

#2 事業経営者に必要な3つの「き」

事業経営者には、3つの「き」が必要である。

先ず、1つ目は、「気」である。「元気」「活気」「覇気」「勇気」「運気」「気魄」を類する。
特に創業する人は、「元気」である。元気の気は、やる気の気であり、やる気を元に戻すという意味から、創業する人は、いつでも元気でいられる。一方で「客気(お客さんは、何れ家に帰るという例え)」というのは、一時だけ、元気であり、長続きしないので、本物の元気とは言えない。

2つ目は、「機」である。本物の事業は、問題解決からは生まれない。機会を創出して事業は生まれる。特に、ピンチをチャンスつまり「機会」として捉える逆転の発想と、自らの強みで勝負し、価値を創出する戦略発想が出来ることである。

3つ目は、「器」である。つまり、経営者としての器を備えているかである。ここで言う器とは、才よりも徳、即ち人物としての度量であり、器量を持つことを指す。

この3つの「き」が、バラバラではなく、一緒にならないと駄目で、全てを兼ね備えているのが、創業者であり、事業経営者と言える。

2017.04.11

#1「使命と理念」

独立起業し、事業を創業する際に、肝心なことは、自分の「使命」と「理念」をトコトン考え抜き、揺るぎないものとして、明確にすることである。これが所謂、会社で言うと「企業ミッションと経営理念」に値する。

この唯一無二の揺るぎない「使命と理念」が、時代や国を超えても普遍的に通用する原理原則であり、判断基準としての拠り所となり得る。そして、今後、変わりゆく時代や世界の中においてもその「拠り所」があれば、時代の流れや変化に対しても自分を見失わずに、敏捷且つ柔軟に対応出来得ることとなる。

創業する人は、事業内容やサービス内容を考える前にこの唯一無二の「使命と理念」を創造することが肝要である。

このような見識こそが、東洋哲学としての「古典」に含蓄ある言葉として残されている。「温故知新:昔の事をたずね求め(=温)て、そこから新しい知識・見解を導く」という言葉の通り、事業経営の活学として「古典」を引用し味わいながら実践的に解説していきたい。