2017.05.15
#4「自分と自我」
自分と自我の意味は異なる。
先ずは、「自分」の本来的な意味を説明したい。自分の「自」とは、「独自」の「自」を意味する。つまり、独自性、オリジナリティがあり、個性を打ち出すということである。次に自分の「分」は、全体の「部分」を意味する。世の中、全てがそうであるが、1人では生きられない。また独りよがりになってはいけないという意味も含まれる。独立したとしても、顧客や取引先、サプライヤーとの協力関係があって成り立つわけであるから「自分」は全体の「部分」と捉えなくてはならない。この両方の意味が一体となって、本物の「自分」がつくられるので、自分らしさ、独自性を出しながらも全体との調和、周囲との協調を心がけることが肝要である。まとめると、ある者が独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する。その円満無碍(むげ)なる一致を表現して「自分」という。われわれは、自分を知って、自分を尽くせば善いのである。自分がどういう素質能力が天賦されているのか、それを称して「命」という。これを知るのが「知命」である。知ってそれを完全に発揮していく、即ち自分を尽くすのが「立命」である。
一方で「自我」は、我が儘な自分であり、自己中心的な意味がある。「我」とは、「手」と「矛(ほこ)」を合わせた字であるから、矛を手に「寄らば斬るぞ」と自分を守っている姿が「我」である。その姿は、自分の殻に閉じこもって自分を守っているように見えるところから「あいつは頑固だ」ということになる。また、「私利私欲」という言葉があるが、「私」という字は、のぎ偏の「禾」に「ム」がついて文字になる。この意味は、主食である穀物(禾)を人に与えずに、肱を曲げて自分のほうに引き寄せる(ム)という行為から来たのが「私」である。つまり、相手のことを考えない自己中心的な意味合いを持つ。
従って、「自我」を出すのでなくて、普段の経験や人との出会いから「自分」をつくり、「自分」を打ち出すことが大事である。事業経営者は、「利他の心」や「無私の精神」を持つことと言われる所以がここにある。