2017.05.26
#12「学問の本質とは(荀子より)」
「それ学は通のためにあらざるなり、窮して困しまず、憂いて心衰えず、禍福終始を知って惑わないためである」とは、荀子の言葉である。
学問をするのは、いい大学を出て、一流企業に就職し、立身出世や生活するために行うのではない。そういう通過点における機械的、手段的、功利的なものではない。そのような知性、知識、知能というものもあるが、それは、実に低次元のものであって、本当の学問というものは、どんなに窮しても(困難な局面や、貧しい状況においても)苦しまない。どんな心配事があっても、そのためにへこたれない。神経衰弱にならない。心が衰えない、エネルギーを落とさないためである。
何が禍いであり、何が幸いであり、どうすればどう終わり、どう終わればどう始まるのかをよく知って惑わないためである。
学問するということは、単なる知識や技術を習得することではない。物事に対して正しい価値判断ができる見識を養い、それを実践することである。
学問の本質とは、
1.人間の本質的完成
2.人生の複雑な問題に直面しても、敢えて惑わないこと
3.自己の自主性・自立性を錬磨し自由を確立することであり、それによって発達する自己を通じて世のため人のために尽くさんがためである。
これが学問の本領であり、目的であるから、人物を志す経営者やリーダーは、常日頃から、骨力としての学問を怠ってはいけないのである。