2017.07.27
#40「観」と「見」
「観」という字には、「みる」という意味がある。「みる」にもいろいろの見方があって、目の前の風景や物をぼんやりとながめているという見方もあれば、こちらから目的を持って「視察」したり「観察」したりするという見方もあり、決して一様ではない。
剣聖宮本武蔵が「見の目」「観の目」といっているが、「観」というのは最も深い見方であって、うわべだけでなく、そのものの本質までを見抜く見方をいう。
こうなると「観」とは必ずしも「目」で見るだけでなく、眼耳鼻舌身のすべての感覚機関を通じて把握する働きであるといえる。つまり、視覚、聴覚、臭覚、味覚、皮膚感覚(触覚)の全てを「観」といえるが、「観」という境地の把握は、それらの1つ1つの感覚機関にとらわれず、むしろ全身全霊的のはたらきによって行われるものである。
「人生観」「職業観」「世界観」「宗教観」等、そのものの本質に対する深い把握、深い認識をこの「観」という字で現すのである。
経営者として、組織のリーダーとしてこの「観」を重んじ、実践したい。