2018.04.17
#82「明徳を明らかにする」
大学の結論は、最初の三綱領で記されている。つまり、大人になるための「修己治人」をどのようにして実践するかをこの三綱領で述べている。先ずは「明徳を明らかにすること」を解説したい。
ここで言う「徳」とは、人として全人間活動の源泉となるもので、単なる「人柄」や「性格」を言うものではない。それは、「使命」であり「志」であり「良知良能」からくる「能力」であり、判断や実行する際の基となる源流としての「意志」「誠意」を指す。
「徳」には、見える徳と見えない徳がある。人間も木と同じである。根は地中にあって直接には見ることはできないが、非常に大きな役割を持っている。そういう見えない徳が、幹や枝や花になっていくと外に表れてくる。
内にあって大きな働きをしている徳のことを「玄徳」という。玄は黒いという字で、下に人をつけると「玄人」になる。玄ではなく、素をつけると「素人」になる。どう違うのか?それは、コツを会得しているかどうかの違いで、見えないけれども、そこにあるものを得ているということの違いである。やがて外にポッと現れてくる。枝が出て、花が咲く、一目で何の木かわかる。そして実がなる。そういう外に表れる徳のことを「明徳」という。人間が成長するのも木が成長するのと同じで、まず根を養わなければならない。そして芽が出てきたらそれを大事に育てていく必要がある。
まず目に見えない玄徳をしっかり養うことである。玄徳を十分に養って、明徳を発揮させる。この明徳を発揮させることを「明らかにする」という。
太陽と大地の調和によって万物は、生成しているので、人間には「大地の徳」と「太陽の徳」が生まれながらにして与えられている。従って、「玄徳は大地の徳」で「明徳は太陽の徳」といえよう。
太陽は、恒星だから24時間休みなく照り続けている。明徳は、我々の内にある小太陽のようなもの。我々、地球人は、太陽を見ることのできないときがある。それは太陽の反対側にいる夜、或は、日中でも、雲や霧、スモッグがかかったら、太陽を見ることができない。
それと同様に、明徳にも雲や霧がかかるときがある。それは、「我」や「私」が明徳を曇らせることになる(我が強い、私利私欲になるなど) だから、いつも自分の心の鏡を曇らせないように澄ましておかなければならない(参照#52明鏡止水)己自身の日々の修養が必要である。