2018.12.18
#98「明朗快活」
人は明朗快活でさっぱりしたところがなくてはいけない。もしもいたずらに縮み上がってぐずついているようなものは、本当の「敬」-うやまう-とはいない。これは活きた敬ではなく、死んだ敬というものである。これでは何事もなすことができない。
「六然」でも、同様のことを言っている。
自ら処する超然(ちょうぜん) 自分自身では何事にも捕らわれずに居る
人に処する藹然(あいぜん) 人とは気持ちよくつきあう
有事には斬然(ざんぜん) 何か事件の起こったときにはきっぱりする
無事には澄然(ちょうぜん) 無事の際はすみきって居る
得意には澹然(たんぜん) 得意の時にはあっさりして居る
失意には泰然(たいぜん) 失意の時にはどっしりと落着いて居る
詳しくは、#14「得意と失意の時」を参照されたい。
経営者・リーダー・指導者は「明朗快活」な態度で事に処したい。