2019.08.18
#129「ビジネスの本質は、徳と義にあり」
「徳は本なり、財は末なり(大学)」
基本とすべきは上に立つ者の徳であって、財は末節に過ぎない。基本をなおざりにして末節を重視すれば、人々に奪い合いを教えることになる。
「先義後利(孟子)」
まず義を優先すべき、そうすれば後から収益はついてくる
こうした言葉は、
ビジネスの本質は、「徳」とか「義」にあることを忘れては、ビジネスそのものが成り立たないことを示唆してくれる。
: Undefined variable $body_column_id in /home/xs108482/leadership-brains.co.jp/public_html/wp-content/themes/leadershipbrains/header.php on line 125 2019.08.18 「徳は本なり、財は末なり(大学)」 「先義後利(孟子)」 こうした言葉は、 2019.08.17 「明徳」とは、「自分の最善を相手に尽くしきること」である。 「利他の心」で実践すれば、多くの人から感謝される。人間が本来持っている「徳」を自然に扱えるようになることを、明徳を明らかにする(明明徳)という。 経営者やリーダーは、常日頃から「徳」を磨き、「徳」のある行動を心掛けて、実践することが大切である。 2019.08.15 「方」は理・道をいう。一旦、志を立てたならば、しっかりと自分を確立してグラついたりしない。何があっても自分の道を守り抜くこと。人は飽きると変化を求めるが、本来は、毎日同じことの繰り返しの中で変化し、成長を遂げるものである。継続は、力なり。立てた志に向かって、愚直にやることである。 経営者、組織のリーダー足るものは「志」がぶれてはいけない。業務多忙で「志」を忘れてしまい、枝葉末節に捉われて、やり方を安易に変えてしまう、或は、実行を諦めてしまうことはリーダーとして本末転倒であり、経営は失敗する。 2019.07.23 「慎独」とは何か? それは、「自分を欺かない、自分に嘘をつかない」という意味である 江戸時代の人々が自分を鍛えるのに、とても重視したものに「慎独」がある。 心の中で思っていることと違うことばかりいっていると、自分が自分を信用できなくなる。自分は他人に対していっていると思っているが、実は一番その嘘を聞いているのは自分自身だからである。 心と発言がいつも違うとなると、一体どちらを信用したらよいのか、自分で自分がわからなくなる。そして、さらには、真実自体がわからなくなってしまうのである。 真実がわからないで、そのとき、そのときの口先で発言するから他人からは信用されるわけがない。さらに自分が自分を信用できなくなるので、どこに本心があるのかわからない人間になってしまう。真に自分が思っていること、自分が思ったことを正しく表現しないということは、リーダーとしては、失格である。常に自分の心に忠実になることを「誠」というが、そうしたことと反する場合は「黙っている」ということが大切である。 「大学」の一説に「小人は閑居して、不善をなす」とあるが、 人の前では「紳士淑女」でいるが、人の目のない独りのときは、善くないこと、見苦しいこと、悪いことは、すべて独りの所で起こすものだといっている。 経営者、組織のリーダーは、独りのときこそ慎む「慎独」を忘れてはいけない。 2019.07.22 機が熟し、時が満ちた時に過不足なく相応の実力を身につけていることを目指し、日々邁進する。 2019.07.22 終日、勤勉に努力する。いかなる時も畏れ慎むことを忘れない。無駄に時間が過ぎるのを惜しみ、今、何をすべきか、その時々に徹し、集中して、今という時を活かしきることが大切である。過ぎてしまった時は2度と戻ってこない。一瞬たりとも無駄にしないために大切なのが、時を畏れるという姿勢である。 2019.06.20 「時に六龍に乗り、もって天を御す(易経 乾為天)」 龍は雲を呼び、雨を降らすといわれる。 易経六十四卦の乾為天の卦には、龍になぞられて、 ○第一段階「潜龍」高い志を描き、実現のための力を蓄える段階 この六段階を「六龍」という。この六つの過程は朝昼晩、春夏秋冬の変化過程と同じであり、大願成就の天の軌道である。その時、その時に応じた働きがあり、その力を使いこなし、大いなる働きを成していくのである。 人生や事業経営も同様のことが言える。意に反して、良くないことや悪いことが自分の身に起こったとしても、それは一時のもので、状況はまた変わってくる。経営者・リーダーとして、一喜一憂し、反射的反応的になるのではなくて、その時期は、耐えて栄養を獲ることが肝要である。 2019.06.16 潜龍とは、将来大きく飛躍する大志を抱きながら、世の最下層に潜み隠れる龍のことをいう。 2019.06.9 「中庸」は、「囚われなく、その時に適切な」という意味。 行動に出るべき時には出る、控えるべき時には控える。自分の地位や立場が危うくなろうとも、進むべき時であれば進み、退くべき時であれば退く。時には嘆き悲しみ、時には喜び、時には烈火のごとく怒る。軋轢を避け、波風を立てないように、常にほどほどの加減を保とうとすることが中庸の精神かというと、そうではない。 2019.06.6 上位に居(お)りて驕らず、下位に在りて憂いず(易経:文言伝) (訳)
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#129「ビジネスの本質は、徳と義にあり」
基本とすべきは上に立つ者の徳であって、財は末節に過ぎない。基本をなおざりにして末節を重視すれば、人々に奪い合いを教えることになる。
まず義を優先すべき、そうすれば後から収益はついてくる
ビジネスの本質は、「徳」とか「義」にあることを忘れては、ビジネスそのものが成り立たないことを示唆してくれる。#128「明徳の意味」
「徳」のある人は、このようなことが自然に出来るから、人から信頼され、尊敬されて「信望」や「評判」高まり、相談依頼がくる。すなわち、信頼ある人として「運気」が高まり、結果を残すことが出来る。#127「立ちて方を変えず」
#126「慎独-独りを慎む」
自分をつくる要点は、「自分を欺かない、自分に嘘をつかない」ということである。
従って「独りのときに完璧」であれば、人の前ではもっと完璧になれる。独りのときこそが自己鍛錬の最も重要な場なのである。このことが自分の内面を磨く最良の方法で、これを続けていると内奥が美しくなり、その美しさが内側から発せられるようになる。これが「品格」であり、最良の訓練法なのである。#125「時に及ばんことを欲するなり」
一日一日の積み重ねが、来るべき時の成功を約束するのである。#124「時を畏れる」
昨日までの過去を悔やんでも元に戻せない。明日以降のことを心配したり、未来を空想しても夢物語に終われば、時間の無駄である。今日一日に集中し、一所懸命に努力して、取り組むこと。その積み重ねが、実力になり、成果に繋がるのである。
つまり、一旦、志を立てたならば、思い悩む「過去」と妄想する「未来」には蓋をして「今に集中」して生きることが肝要である。#123「生々発展の六段階」
そこから龍は「天」と「陽」を象徴する生き物とされる。
志の達成までの変化の過程が次の六段階で記されている。
○第二段階「見龍」基本を修養する段階
○第三段階「君子終日乾乾」創意工夫し、独自性を生み出そうとする段階
○第四段階「躍龍」独自の世界を創る手前の試みの段階
○第五段階「飛龍」一つの志を達成し、隆盛を極めた段階
○第六段階「亢龍」一つの達成に行き着き、窮まって衰退していく段階
種まきして、リーダー自身の栄養を蓄える段階であり、これが実に大事であるということをこの「六段階」は示唆してくれる。#122「潜龍元年」
重要なのは志であり、志を抱くことがなければ、何も変化は起こらず、成長や進化もない。
また、志を抱くべきは何も若い世代だけに限らない。年齢に関係なく、新たな変革を起こす志を養うことが大切である。「潜龍元年」とは、初心に帰り、志を培い続けることである。#121「中庸」
#120「上位に居りて驕らず」
高い地位にあっても驕らず、地位が低くても心悩むことはない。
物事に集中して、必死に努力しているのなら、自分の地位や出世など余計なことに気をとられている暇などない。