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2018.09.26

#95「当事者意識」

当事者意識を持つことは、自分の役割を知って責任を果たすことに繋がる。
当事者意識がない組織では、問題や不具合を相手や会社や環境が悪いと他責で考えてしまう。
このような組織風土では、業績・成果も上がらないし社員も成長しない。

組織では、社長自らが当事者意識を持って経営を行うことは、勿論のことだが、経営ボードメンバーの取締役が、執行役員が、部長が、課長が、主任・係長が、グループ・チーム長が、スタッフ・メンバー職員が、新入社員が、各々の立場で役割責任を果たすべく、当事者意識が必要である。

当事者意識を持てば、問題や課題の本質が見極められて、解決のアクションが自ずと分かる。つまり、社長や上司が逐一、指示・命令しなくても各々が、主体的に動き、問題解決出来る組織となる。
だから先ずは、経営者やリーダー自らが、当事者意識を持って、「コミットメント」を示し、実行するリーダーシップが大切である。特に平時でなく、緊急時や不祥事が起きた際などは「胆力」を持って事にあたることが、長としての責務である。

また「修身斉家治国平天下」の実践からすれば、特に「斉家」は、職場外での当事者意識、つまり、家庭内、地域活動等も含めて役割が変わるのだから、この当事者意識を持って、「父親」「母親」「夫」「妻」「兄」「姉」「息子」「娘」等の家での役割遂行が大切であると言える。事と相手に当事者意識を持って向き合うこと。これ即ち、究極のワークライフ・バランスであり、人間修養の道である。

2018.09.22

#94「組織はトップ次第」

「その身正しければ、命ぜられども行われる。その身正しからざれば、令すと雖(いえ)ども従わず(論語)」
(訳)
「わが身が正しければ命令などしなくても実行される。わが身が正しくなければ如何に命令しようが実行されることがない」

人の上に立つ者がその立ち方に間違いがなければ、いちいち指示をしなくても部下たちが率先して事に当たってくれるものである。またその逆に、その立ち方に誤りがあれば如何に命じようとも部下たちが勝手に事を進めることなど決してない。

組織はすべからずトップで決まる。
企業統治には、法治だけでなく、徳治が必要。極論を言えば、徳治が本で法治は末である。
そのためにも経営者がまず己の身を慎み正すことが徳治の始まりである。

社長になってはいけない人

決断できない
人の話が聞けない
社員が信用できない
知らない人に会いたがらない
苦言は聞きたくない
計画的に物事が進められない
独りよがりで傲慢である
いつも苦虫を噛み潰した顔をしている
社内の会議は独壇場である
話し始めたら止めどなく話す
1日中社長室に閉じこもっている
事業の見直し、見極め、再構築をしない(直近の部下に任せているから)
社長としての当事者意識がない

2018.09.11

#93「社長が変われば、会社が変わる」

会社は、社長次第で変わる。良くも悪くもトップに立つ者の人間性に尽きる。
組織は頭から腐ると言う。人の上に立つ者がその自覚なく、人の上に立つことは、すでに多くの人たちへの裏切りに他ならない。

社長は自分自身をまず正すことが第一である。
経営者としての生きざまを正し、徳を高めるためにまず心のあり様を正しくする。
自らの心のあり様を正しくしようとするなら自分の心の持ち方を誠実にする。
自分の心の持ち方を誠実にしようとするなら人間が生まれながらに、もっている良知良能(人が先天的にもっている正しい心の働きと能力、知恵と才能)を押し極める。
正しい良知良能をもてば正しい態度でその物事を迷わず対処する判断力を極めることができる。
つまり、経営者として正しく判断し、正しく実行することができる。

2018.09.8

#92「社長の仕事と優先順位」

「物に本末あり、事に終始あり、先行するところを知れば即ち道に近し(大学)」
(訳) 
物事には根本と末端があり、終わりと始まりがある。何が先で何を後にするかそのことがわかれば求める正しい道が自ずと見える。

物事には始まりと終わりがある。始まりが良ければ結果として良い終わりを迎えることができる。
良い結果を求めるためには始まりを良くすることがまず大事になる。経営者は物事の始まりを慎重にすることが良い結果に結びつくことを改めて認識すべきである。
例えば、新規事業を計画しているなら慎重に十分な調査、分析をし、勝算があるかどうかを見極めるべきである。その上で勝算ありと判断されたら迷わず果敢に動くこと。

どうしても忙しくなると目先の仕事に追われ、どれが先でどれが後かが分からなくなってしまう。
よくよく見ていると、後で良いことを先にしてしまい、今やらねばならないことを後回しにしていることが多く見られる。そこが分かればより効率良く仕事が捗る。
経営者に必要な資質の1つが物事を俯瞰してみることができるかどうかである。自分がやらねばならないこと、会社の諸問題等を冷静に慎重に俯瞰して、何が先で何が後かを判断することが大切である。これを優先順位と劣後順位という。つまり何かをやると決めたら同時にやらないことも決めているのである。

仕事における要諦は、何が重要で何が些末なのかを見極め、入念な準備が満足いく結果に繋がることを理解し、何を先に為し、何を後にするかに尽きる。このことが実践できれば成果が大いに上がる。

2018.09.7

#91「社長は使命を語れ」

会社の「使命」が明確になれば自ずと会社の経営理念が定まる。そしてその「使命」を確実に果たすために経営目標が定まる。経営理念、経営目標が定まると経営の土台がしっかり築かれることになる。経営者と社員が「使命」を共感、共有することができれば強靭な会社となる。社員が安心して働くことができる。取引先も安心してお付き合いができることとなる。
だから会社の使命を明確にして、社長はことあるごとに皆に語ることが大事である。

2018.09.6

#90「社長が学ぶということ」

経営者が経営をし続けるということは、ある意味学び続けるということでもある。言うなれば経営道を歩み続けるとも言えるでしょう。

「学は及ばざる如くするも猶之をうしなわんことを恐る(論語より)」
(訳)「学問に終わりはない」として学んでいるが、この心掛けをなくしてしまうことが恐ろしい

経営者が学び続けることは自らの修養に努めることであり、人の上に立つ者としての責務である。
経営者の学ぶ姿勢が社員の共感を誘い集団のモチベーションを上げる。
経営者と社員が共感し協働し続けることが即ち社業の発展に繋がるのである。

2018.09.4

#89「修身斉家治国平天下」

「修己治人」を具現化するための実践的見解が「修身斉家治国平天下」である。
その意味は、己の身を修める(修身)ことによって、自分の家が斉(ととの)う(斉家)、家を斉えることによって、国が治まる(治国)、国が治まることによって、天下は平らかになる(平天下)

これを政治家や社長の立場として具体的に考えるならば、
天下(世界・世の中・市場)を平和にする為には、国(自国・自分の会社)を治めること、国をより善く治める為には、家(自分の家庭、家族・所属する部門、課、係、チーム)の人々の心を一つに斉(整)え、まとめること、家を斉える為には、自らを律して、己の身を正す、修めることである。ここで言う「修身(身を修める)」とは、自分自身を「修理」「修正」「修養」して常に正しい心と身を保つということである。

つまり逆説的に言えば、国や会社をまとめ上げる首相や大統領、社長やビジネスリーダーという立場であるのに、国民そして直属の部下や組織、家庭が、うまく行っていない、関係性が破綻している、自らの健康管理や時間管理、挨拶、礼儀、感情のコントロールや身の回りの整理整頓が、ちゃんとできないのでは、人として駄目であり、今のポスト(職位)は長続きしない、安定しないという警笛である。

だからこそ、人の上に立つ者、すべからく己の身をまず正せと、これが根本であり「修己治人」の意味するところである。

2018.09.2

#88「修己治人」

「大学」とは、一言でいうと「修己治人」であることが根本理念となる。すべからず人の上に立つ者、これから立とうとする者にとって最も大切な理念が「修己治人」である。
まず、人の上に立つ前にすることがある。それは己自身を修めることである。要は己自身を律し、己自身を高めるために修養に努めること。そうして己の人格に磨きをかけ、人格を形成することができて初めて人の上に立てる。

そして人の上に立たせてもらってからも、猶それまで以上に、己を律し、己を高め続ける努力をしつづけることが大切である。人の上に立つ者、すべからく己の身をまず正せと「大学」では何度も言っているが、これが根本であり「修己治人」の所以である。

2018.07.7

#87「今、なぜ古典なのか?古典を味読することの意義2」

めまぐるしく変転する現代社会を生き抜くには、時代を超えて変わらぬものに着目するのがよい。
変化だけに目を向けていては、翻弄されるばかりだからである。古典は、長い時を経てふるいにかけられた書物である。古典から人間と社会と学問に関する変わらぬ真理を吸収するのが、本当は最も早道なのである。
古典の読書には四つのメリットがある。(1)未来に対するビジョンが得られる(2)現代を読み解くキーワードが得られる(3)本質をつかむ訓練ができ、どうでも良いことに振り回されなくなる(4)過去の偉人の生きざまを追体験できる。
加えて、コミュニケーションに必要なツールも、古典は与えてくれる。他者を理解するには、自分とは異なるフレームワーク(考え方、価値観)がわからなければならない。こういうときに、古典は、時代を超え、地域を越え、自分と異なるフレームワークの存在を教えてくれる。すなわち、古典の味読を通じて、古今東西に見られる数多くのフレームワークを知っておけば、世界の理解がより容易になるのである。
 
尚、古典とは、賢者が残した言葉の集積である。混沌として先のみえにくい現代を力強く生き抜くためにも、賢人たちのこうした言葉をじっくりと味わうことが、大切である。しかしながら、古典を崇め奉って、感心ばかりして読むものではない。古典が教えてくれたことは、さっそく普段の仕事や生活で試してみると良い。こうして「古典を使う」ことによって、自分の好みと生き方がはっきりしてくるであろう。自分の好きなように古典を読んだり使ってみても、まったく構わないのだ。
*参照文献「座右の古典 鎌田浩毅 著 より」

2018.07.5

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