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2017.07.1

#26「独立独歩」の意味

先ず「独」とは、単なる「ひとり」ということでなく、相対に対する絶対の境地を意味する。つまり、群衆に混ざって流されることなく、自己に徹することが、本来的な「独」である。

「独立」というものは何ら他に依存せず、自分自身が絶対的に立つということである。
「独歩」とは、群衆と一緒に歩くという意味ではない。自分が絶対的に自立自行するということである。人の厄介にはならない。自分自身が絶対つまり相対を絶することである。オンリーワンの自分を信じ、自主自立して歩くことが「独歩」である。

人は自己の絶対に徹して、はじめてあらゆる相対に応じることができる。
そういうことから、真の創業者、起業家は「独立独歩」の人と言える。

2017.06.30

#25「人の上に立つ者の最も慎むべきこと」

自分が間違っているということを人から指摘され、聞かされることを嫌がり、弁解したり、憤慨したりすることは、人の上に立つ経営者や組織のリーダーとして慎まなくてはならない。

そして、賢人(誠実で有能な人財)を見ても、それを挙げ用うることが出来ず、たとえ挙げ用いても、それを抜擢して、従来の人々の先に立てることが出来ないのは、上に立つ者の「怠慢」である。

同様にまた不善の者(不誠実で周囲に悪影響を与える人罪)を見つけても、それを退けることが出来ず、退けても遠ざけることが出来ないのは、上に立つ者の「過失」である。

2017.06.28

#24「志はまさに高遠を存し」

志、人間の理想、目的というものは、できるだけ高く、できるだけ遠く、高遠でなければならない。目先ばかりで低くてはいけない。何を考えているのかわからないようではいけない。組織の長として「自分は、こういうことに憧れているんだ」「こういう事を必ず達成するんだ」という理想・情熱をはっきりと存在せしめ、感情を表すことが大切である。感情はその人の全体の反映である。
理想を持つものほど、伸びるが、色々と妨害があって、思うようにいかない時に、感傷的になったり、激情的になってはいけない。あまりにも細かい、小事なこと、重要でないことは、捨て去ること。つまり、そのような小事は気にしないことである。

2017.06.23

#23「習慣は第2の天性なり」

習慣を別な面から言うなら躾けという。
どんなに生まれつきの資質、才能、徳、知能、技能を持っていても、悪習慣に染まるとこれは、どうにもならない。
朝起き、早起き、これを忘れないようにしたら一生繁栄する。
朝早く起きるためには、夜、早く寝ることである。実に簡単である。

2017.06.19

#22「人君 当令 リーダーになっても」

基本的にやっておくべき、技術や勉強は、続けなくてはいけない。
武士の時代なら、当然、君主であっても弓術、馬術、刀などの武術を日々、鍛錬しなければならなかった。こうした基本的な作業や訓練はやることによって心理的にも充足し、元気が出るものだ。「いざという時のために忘れないようにする」という意味だけではない。
リーダーが行うべき決断においてもそうした日々の行動は役に立つのである。

人の上に立つと、これまで以上に多くのことを求められる。責任も増え、人との交流も増え、時間も少なくなる。基本的な仕事を忘れた時、リーダーは大切なものを失うこととなる。
つまり、現場がわからなくなる。昔、自分がやっていた頃の古くておぼろげな記憶だけで判断するようになる。人の記憶はあやふや、しかも時代は変わる。
だから、基本的な仕事を忘れたリーダーは危うい。

2017.06.12

#21「生きがいのある生活を送るには」

昨今では、「ワークライフ・バランス」や「ライフキャリア」という類の言葉が多く、聞かれるが、端的に言えば、「生きがいのある生活」をいかに毎日、過ごすかに尽きる。

「大學」では、生きがいのある生活とは、「食うに困らぬ生活」であることは、当然ながら、「不安動揺のない、安定した生活」であり、「張りのある生活」と言われる。この「張りのある生活」とは、何かに強く引きつけられている状態、或は、自分を何者かが引っ張り寄せている状態を言う。これ即ち、人生の目的、理想、志に自ら引っ張られて、感激を持って歩み続けて、已まぬ姿である。寝ても覚めても使命感を持って仕事や生活が出来ることが分かったとき、張りのある人生が始まることを言う。そして、「今を精一杯、生きること」「生きていることに素直に感謝できること」これが充実した生きがいある生活と言える。

2017.06.11

#20「経之妙 正しい道」

原理原則を熟知して、うまく利用すると臨機応変に対応できる
つまり、原理原則は、正しい道として、普遍的にそこにある
それをうまく利用する方法が、臨機応変につながるわけだ
臨機応変な対応は、原理原則と同じ
決して、原理原則を変えて、臨機応変に対応するのではない

従って、事業経営者、リーダーとしての「仕事の原理原則」「判断・決断する際の原理原則」そして「生き方の原理原則」を追究し、極める必要がある

2017.06.10

#19「正心とは(心を正しくするには)」

「大學」の「正心」の章の中で、「心ここ(心が正しい状態に在る)にあらざれば視れども見えず、聴けども聞けず、食らえどもその味わいを知らず。之を身を修むるは、その心を正しうするに在りという」とある。
心というものは、しっかりと心に座っていなければ、目では見ていてもぼおっとして見えず、耳では聴いていても何か聞き分けられず、口に食べていてもその意味がわからないように正しい判断が得られない。このように正しい心を保ってこそ、自らを律し、修めることができるものである。

人間には、喜怒哀楽がある。それを完全になくして、心を無にして平静であれといっているのではない。そうではなくて、正しく喜怒哀楽を現し、心をいきいきと活かすことが肝要なのである。注意したいのは、「身に分ちするところ」即ち、「怒」である。どうでもいいことにいたずらに怒ってはいないだろうか、相手が怒ったからつられてこちらも怒っているようなことにはなっていないだろうか。そんな怒りは勧められるものではない。

しかし、世の中には怒らなくてはならないことがある。その時に、真剣に真面目に、一心不乱に怒っているだろうか。そんなときに怒らないのもどうかと思う。誰もがその怒りを見て、もっともだ、納得できると思えるような怒りがあるべき「怒」なのかも知れない。

このように、本当の意味で「感情が安定している」ことが大事である。この感情が安定しているというのは、感情を出さないということではない。反射的、反応的に、感情的になるということではなく、出すべき時に、喜怒哀楽としての感情を露呈するということである。その判断は、状況にもよるので難しいかも知れないが、日頃の修養と学問にて、高い見識力を磨いていくしかない。

だから「正心」とは、経営者、リーダーとして、心の安定(不安・不平を持たず、心が定まっている状態)を保つように努めよ」という事である。

2017.06.9

#18「度量と才能」

人は才能があっても度量がなければ、人を包容することはできない。
反対に度量があっても才能がなければ、具体的な仕事ができない。
才能と度量とを二つ備えることができないとしたら、むしろ才能よりも度量のある人物がよい。
特に人の長となる者にはこのほうがよい。なぜなら、度量のある人は、自分は仕事ができなくとも、人を包容して才能のある人を適材適所に任じ用いることができるからである。
これを任用(任せて用いる)という。本来的な「権限委譲(Delegation)」とは「任用」することであり、任された本人が成長発展することを意味する。従って、「任用」と「使用」は違う。人や部下は、モノではない。使って用いる(使用)では、先の成長発展は見込めず、何ら動機づけにもならない駄目な任せ方となる。

自分の後継者を選び育成(サクセッションプランと遂行)する際には、この「度量と才能」「任用」を、十分、留意されたい。

2017.06.8

#17「宿命と運命」

宿命と運命は違う。
人間が浅はかで無力であると所謂、宿命(宿る命)になり、自分では変えられない。
一方、人間が本当に磨かれてくると運命(運んでくる命)になる。
即ち、自分で自分の「命」を創造することが出来る。目的を持って、大義と本質を見定めて主体的、前向きに努力精進するならば運命は、自分で変える事が出来る。

「人生2度なし悔いなく生きる」とは、このように「自分で自分の運命を切り開く」生き方である。