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2019.08.27

#135「重職心得箇条①:佐藤一斎」

重職というものは、国家や組織の重要にして重大事を取り計るためにいる役職であるから、重役の立場にいながら、重要にして重大事を取り扱わずに、軽い仕事しかしないというのでは、重役とは言い難い。

重要、重大事などは、いつ起こるかわからない。だから、常に緊張感を持って職に当たるべきで、油断などをしてしまうこと自体が、すでに重職の適任者でないことを表わしている。そして、重職は、組織の重要にして重大事を取り計るわけだから、まずその挙動、言動から重厚にして威厳を養わなければならない。但し、この威厳というものは、即席で身に付くものではない。したがって重役になってから慌てて養うものでなく、ずっと以前から心掛けて、養成するものである。

2019.08.26

#134「敬天愛人」

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねべし(南洲翁遺訓)

(訳)
人の心はうつろいやすいもの。自分はそうした人を相手にするのをやめて、天を相手にする。天はすべてを見通してくれるが、それだけに嘘はつけないから、いつも全力投入して、誠を尽くしてやるだけである。「尽己」である。

狭い人間世界にこだわるのではなく、広大無辺の天を相手にしなさい。天の示す道を実現すべく全精力、精神を傾け、人を咎めたりせず、自分に真の心が不足していることを認識すべきなのだ。

2019.08.26

#133「義」と「勇」

士の道は、「義」より大なるものなし。「義」は「勇」に因って行われ、「勇」は「義」によって長ず(吉田松陰)

(訳)士、立派な人物は何よりも「義」、筋道を立て、私欲を捨て、公益のために生きることを貫くものである。「義」は真の「勇気」によって実行され、「勇気」は「義」によって成長し、強固になる。ここでいう士とは、経営者であり、リーダーである。

2019.08.22

#132「私心を捨てる」

リーダーは公私のけじめをつけ、公のために生きなければならない。

会社の業績が芳しくないと嘆く経営者の話をよく聞くと、その経営者自身に問題があるケースが少なくない。簡単に言うと、そういう人は会社よりも、自分のことを大事にしている。だからうまくいかないのである。事業を成功させて業界で一目置かれたいとか、株価を上げて自分の資産価値を高めたいと、虚栄心を満足させることや自己利益の拡大が働く目的であることが透けて見えてしまう。
経営者が私欲のために働くような公私混同をしていたら、うまく行く方がおかしい。

私心などかなぐり捨て、会社という公のことをひたすら考えて行動する。
そういう高潔な人物がトップにいない会社は、どこかで行き詰まってしまうものである。

2019.08.20

#131「リーダーの究極的な精神とは」

リーダーに必要な究極の精神、考え方は3つである

1)自己犠牲の精神

2)利他の精神

3)ノーブレス・オブリージュの精神

とは、身分の高い者は、それに応じて果たさねばならぬ重い社会的責任と義務があるという欧米社会における基本的な道徳感。もとはフランスの諺で「貴族たるもの身分に相応しい振る舞いをしなければならぬ」「貴族に課せられた義務」の意。当時の貴族には多くの特権も与えられたが、彼らには戦争となれば率先して最前線に立って命懸けで戦う義務も課せられた。「人の上に立ち権力を持つ者には、その代価として身を挺してでも果たすべき重責がある」

以上、いかに世の為、人の為にこの3つの精神で事を成せるか?である。

2019.08.20

#130「道 義」(言志四録/佐藤一斎)

「義」というのは、自らの良心が正しいと指示することを行うことである。
われわれの行為で、何が宜しいか、何が宜しくないかを判断する本は良心である。
その良心に従って行動することを道義という。これが道の根幹である。その道義の根は、いろいろの枝葉となって発する。
物事の処理や、人に接する場合、どうすることが宜しいか宜しくないかを判断して行うという義もある。その時々の問題にどう対処して行くのが宜しいか、宜しくないかを判断して処理するという義もある。自分の信念・節操を、良心的に、気のすむように守ってゆくという義もある。何か事変が起こったとき、この道を行くのが宜しいと判断して行動する義もある。

これらを統括する源泉は道義である。義は道によって行われるものである。

経営者としてこの道義を間違えてはいけない。そして基となるこの義を極めることが肝要である。

2019.08.18

#129「ビジネスの本質は、徳と義にあり」

「徳は本なり、財は末なり(大学)」
基本とすべきは上に立つ者の徳であって、財は末節に過ぎない。基本をなおざりにして末節を重視すれば、人々に奪い合いを教えることになる。

「先義後利(孟子)」
まず義を優先すべき、そうすれば後から収益はついてくる

こうした言葉は、
ビジネスの本質は、「徳」とか「義」にあることを忘れては、ビジネスそのものが成り立たないことを示唆してくれる。

2019.08.17

#128「明徳の意味」

「明徳」とは、「自分の最善を相手に尽くしきること」である。

「利他の心」で実践すれば、多くの人から感謝される。人間が本来持っている「徳」を自然に扱えるようになることを、明徳を明らかにする(明明徳)という。
「徳」のある人は、このようなことが自然に出来るから、人から信頼され、尊敬されて「信望」や「評判」高まり、相談依頼がくる。すなわち、信頼ある人として「運気」が高まり、結果を残すことが出来る。

経営者やリーダーは、常日頃から「徳」を磨き、「徳」のある行動を心掛けて、実践することが大切である。

2019.08.15

#127「立ちて方を変えず」

「方」は理・道をいう。一旦、志を立てたならば、しっかりと自分を確立してグラついたりしない。何があっても自分の道を守り抜くこと。人は飽きると変化を求めるが、本来は、毎日同じことの繰り返しの中で変化し、成長を遂げるものである。継続は、力なり。立てた志に向かって、愚直にやることである。

 経営者、組織のリーダー足るものは「志」がぶれてはいけない。業務多忙で「志」を忘れてしまい、枝葉末節に捉われて、やり方を安易に変えてしまう、或は、実行を諦めてしまうことはリーダーとして本末転倒であり、経営は失敗する。

2019.07.23

#126「慎独-独りを慎む」

「慎独」とは何か? それは、「自分を欺かない、自分に嘘をつかない」という意味である

江戸時代の人々が自分を鍛えるのに、とても重視したものに「慎独」がある。
自分をつくる要点は、「自分を欺かない、自分に嘘をつかない」ということである。

心の中で思っていることと違うことばかりいっていると、自分が自分を信用できなくなる。自分は他人に対していっていると思っているが、実は一番その嘘を聞いているのは自分自身だからである。   心と発言がいつも違うとなると、一体どちらを信用したらよいのか、自分で自分がわからなくなる。そして、さらには、真実自体がわからなくなってしまうのである。

真実がわからないで、そのとき、そのときの口先で発言するから他人からは信用されるわけがない。さらに自分が自分を信用できなくなるので、どこに本心があるのかわからない人間になってしまう。真に自分が思っていること、自分が思ったことを正しく表現しないということは、リーダーとしては、失格である。常に自分の心に忠実になることを「誠」というが、そうしたことと反する場合は「黙っている」ということが大切である。

「大学」の一説に「小人は閑居して、不善をなす」とあるが、

人の前では「紳士淑女」でいるが、人の目のない独りのときは、善くないこと、見苦しいこと、悪いことは、すべて独りの所で起こすものだといっている。
従って「独りのときに完璧」であれば、人の前ではもっと完璧になれる。独りのときこそが自己鍛錬の最も重要な場なのである。このことが自分の内面を磨く最良の方法で、これを続けていると内奥が美しくなり、その美しさが内側から発せられるようになる。これが「品格」であり、最良の訓練法なのである。

経営者、組織のリーダーは、独りのときこそ慎む「慎独」を忘れてはいけない。