2017.11.22
#56「知識と創造」
知識は自分の外側から入ってくる。
何かを工夫したり、創造することは自分の内側から出てくる。
自分の内側から出てきたものは外側で試してみることだ。
外側から入ってくる知識は、自分の内側に照らしてよく考えてみることだ。
: Undefined variable $body_column_id in /home/xs108482/leadership-brains.co.jp/public_html/wp-content/themes/leadershipbrains/header.php on line 125 2017.11.22 知識は自分の外側から入ってくる。 2017.10.27 人間誰しも、対人関係で悩み、行き詰まることはある。特に、苦手な人や嫌いなタイプとも仕事をしなくてはならない時などはそうである。そんな時に、参考にしたいのが「我以外皆師」という言葉である。この意味は、自分の憧れる人やロールモデル、先生だけを指すのではなく、反面教師となる人からも大いに学べるという意味である。つまり「ああなってはいけない」と教えてくれるのである。また、その時は、嫌で嫌いでも、長い目で見た時に、自分を鍛えてくれた、違う可能性を引き出してくれたと感謝の念を持てるのである。だから自分以外の人は、皆、先生と思って付き合うことが、結果的に自分を成長させてくれるのである。 2017.10.16 昔から成功の秘訣として「運」「鈍」「根」の3つがあげられる。 「止まる」とは「歩む」ことである。後ろ足をしっかり止めるからこそ、前足が勢いよく踏み出されるものであり、木の根がしっかりと大地に定着しているこそ、枝葉が勢いよく生長していくことが出来るようなものである。 2017.10.15 仁とは、「二」と「人」を組み合わせた文字で、自分1人さえよければ相手のことなどかまわぬという我利我利亡者ではなく、自分も相手も「二人」共に生きようとしていくのが「仁」である。人間関係はこうありたい。 2017.09.25 リーダーとして、自省し常に心掛けたいこととして「明鏡止水」という荘子の言葉がある。 「明鏡」とは、一点の曇りもない、よく映る鏡のことで、「止水」とは、流れずに静かに止まって、澄んだ水面のことをいう。つまり、曇りの無い鏡と澄んだ水面のように、安らかに落ち着いた心境を意味する。 正しい心や自分の良心を保つためには、正常な鏡を澄ますことである。この良心という鏡はうっかりすると曇ってしまう。我々は、人の顔は見えるが、自分の顔は、見えない。自分の顔を見ようと思えば鏡に映してみなければならない。その鏡が曇っていたら正しくは映らない。鏡が曇ると物事が正しく判断することができなくなってしまう。だから、いつも自分の心の鏡を曇らせないように澄ましておかなければならない。 2017.09.24 何かを成し遂げるためには、その対象となる物や事について、深く探求して本質としての*理(ことわり)を窮めることが大事である。そのためには、その対象となる物や事に親しみを持ち、自分自身と一体にならないと物事は視えてこない。これを「格物」という。「物を格(ただす)」ことによって、その結果、「物に格(いたる)」のである。 「致知」とは、人間が元来、持っている良知良能(良心としての知能)を極めること。 このように、物事の本質を見究めて、正しい心で、正しく判断し、正しく対処していく要諦を大学では、「格物致知」という。 2017.09.23 「幸福な人生」とは、その人が一生の間にどれだけ「幸せだ」という感情を持つことができるかによって決まるもの。こう考えると順風満帆の時もそうでない時も、その時「どう感じるか」が重要となってくる。つまり、今、この瞬間をどう思うかなのである。今を幸せと感じられるならば、人生は「いま」の連続体なのだから、一生が幸せなのである。 寝床につくときに、翌朝、起きることを楽しみにしている人間は、幸福である。 2017.09.8 ~人間学言志四録より~ 当今の毀誉は 懼(おそ)るるに足らず。後世の毀誉は懼る可(べ)し。 (訳) 人間は案外に精神的に独り立ちしないものである。終始、自分に対する他人の意志、感情、批評を気にしている。甚だしいのは誰が自分をどういった、こういったということで自分の全部が揺り動かされて、一喜一憂している者もある。それほど毀誉というものは人間にとって深刻な問題である。 しかし本当の人物たるものは、世間の俗眼者流の批評などに動かされずに、あくまで自己の信ずる道に生きる者でなければならない。現代では、メディアや雑誌、SNS等を通じて、誰もが無責任に相手を批判し、批判を受ける時代である。どんなに周囲から批判があろうとも、大義と道理が確信出来たならば、決断し実行しなくてはならない局面は、リーダーには、必ずある。 2017.09.2 「反省」というのは「省みる(かえりみる)」ということであり、自分のやったことが本当に真実であり、誠であったかを振り返ってみることをいう。しかしながら、反省するだけでは十分ではない。反省して、良いことは残し、悪いことは省いていく。これが「省略」である。つまり、「反省」するということは、自分の行いを日々、振り返って「省みる」ことと「省く」ことであり、両方を行うことが更なる成長に繋がっていくのである。 2017.08.26 事業経営者・組織のリーダーとして決めなくてはいけない局面において、正しく意思決定することは、大変、重要である。組織の舵取りである経営リーダーが、誤った判断を行ったならば組織が危機的な状態に陥りかねない。 1)判断に必要な知識と情報を的確に集め、高い見識により判別し、 端的にいうと、道理と道義を大義として捉えた上で、自分の都合を考えて、決定することが、正しい判断・決断といえる。 *天道地理とは?
class="archive paged category category-message category-1 paged-16 category-paged-16 page-message cat-message">Message代表者メッセージ
#56「知識と創造」
何かを工夫したり、創造することは自分の内側から出てくる。
自分の内側から出てきたものは外側で試してみることだ。
外側から入ってくる知識は、自分の内側に照らしてよく考えてみることだ。#55「我以外皆師」
#54「運」「鈍」「根」
「運」とは時の運勢に乗じることであり、「鈍」とはいたずらに利口ぶらずに世の利口者に比べれば「鈍」とも見えるような態度でやることであり、そして「根」とは根気強く飽きずにやり通すことである。
ここでいう「鈍」と「根」を例えて言うならば、ウサギがピョンピョンと河の表面をとんでいくのに比べれば、ゾウガメが、河の底まで徹して踏みしめつつ、のそりのそりと河をわたる姿は、どう見ても利口者とは見えないが、その「鈍」とか「根」とかに通じるような在り方に尊いものがある。#53「仁」
#52「明鏡止水(めいきょうしすい)」
#51「格物致知(かくぶつちち)」
*理とは:物事の筋道、条理、道理、当然のもっともな理由
つまり、その物や事への対処、アプローチとして、 正しい良心(道徳的判断)を以て、正しい態度でその物事に対処することが、「致知(知に致る)」という。#50「幸福な人生とは」
#49「後世の毀誉(きよ)」
一身の得喪(とくそう)は慮るに足らず。子孫の得喪は慮る可し。
*毀誉-そしるとほめる *得喪-利害、損失
当世において人に毀(そし)られたり、褒められたりすることは、おそれる必要はない。後世何十年か、何百年か後になって、あの人は立派な人であったとか、あの人はつまらぬ人であったとかと評価されることは、おそれなければならない。また、今の自分の利害、得失ということは心配する必要はない。子孫が幸福になるか、不幸になるかということは終始考えなければならない。#48「反省と省略」
そして「反省」はさせられるものではなく、自分でみずからするものである。#47「正しい判断・決断とは」
そこで、正しく判断するための要諦として、
2)それが道理(天道地理)に適っているか?
3)そして道義(人の道)から外れていないか?
4)その上で、自分のやりたいこと、やるべきことに当てはめて、決定する過程が大切である。
天体自然で定まっているルールや法則を「天道」という。大地にもともと備わっている性質・法則やルールを「地理」という。その両方を併せた「天道地理」を「道理」という。一方、「道義」の「義」とは、人のルールであり、「道理」を人の立場でいうと「道義」となる。つまり「人の道」である。