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Message代表者メッセージ

2017.08.22

#46「ベスト・ワンではなく、オンリー・ワンを目指す」

「おれがおれが」「わたしがわたしが」と他者を押し退けて得たベスト・ワンではなく、「わたしにしかできないことを」と模索し、なくてはならない存在になることが肝要である。
仕事とは、それに従事している人の人間性を向上させるものでなければならない。そう考えたとき、競争社会におけるベスト・ワンではなく、共存社会におけるオンリー・ワンを目指すという生き方が俄然魅力的になる。

2017.08.20

#45「唐書 貫き通してこそ」

人はなんらかの目標をたてる。その時その願いが叶うかどうか先取りして考えない方が良いだろう。目標を実現するのが肝心なのではない。目標に向かって一歩一歩進むことが大切なのである。
もともと人間の寿命は約束されていない。人生とは生き続けることである。

生きることに張合いを感じること。それが人生の喜びである。
到達が問題なのではない。過程こそが人生のすべてなのである。

2017.08.18

#44「絜矩(けっく)の道」

「絜」とは、物の長さを計る糸をいう。「矩」とは、実直な「弓矢」と中央に把手のついた「定規」を組み合わせた文字である。

大学では「絜矩の道」とは、物事を正しく処理して行く基準をいう。言い換えれば、物の基準となる「定規(ていき)」という意味となる。
これをリーダーの実践として考察するならば、以下の通りとなる。

上の人からされて、いやだと思うような態度で、下の人を使うな
下の者からされて、いやだと思うような態度で、上の人に仕えるな
先輩からされて、いやだと思うような態度で、後輩に接するな
同列の友人関係において、
右の人からされて、いやだと思うような態度で、左の人に交わるな
左の人からされて、いやだと思うような態度で、右の人に交わるな

これを「絜矩の道」という。
普段の人間関係において、意識して実践し活かしたい。

2017.08.7

#43「真の研修とは」

「研修」とは、単なる「学習」とは違って、自分自身を研いで、日頃のサビやメッキをおとして地金を出し、その「ひずみ」や「くるい」を修理修正することに意義がある。つまり、「研修」の究極の目的は、自分の身を修めることである。

自分づくりが出来ない者が人づくり、指導者には到底なれない。普段から学問し、経験から修養していく*事上磨錬(じじょうまれん)によって己を磨くことが肝要である。

*事上磨錬とは、実際に行動や実践を通じて、知識や精神を磨き修養すること。「事上」は行動や業務をしながらという意味で、「磨錬」は磨きをかけること。日常の業務をしっかりとこなして、それを通じて修養することが真の学問だとする陽明学の基本的な考え方。

2017.08.1

#42「正しい心とは、感情を安定させること」

心の内は感情となって外に現れる。たとえば、誠心誠意とは、嘘偽りのない、真の誠の心を気持ち、感情に表わしたものである。

心というものは捉えることができないが、それは「喜怒哀楽」という感情として外に表れてくるものである。そうした外に表れる「喜怒哀楽」といった感情を正常にする、つまり、喜ぶべきことを喜び、怒るべきときに怒り、悲しむべきときに悲しみ、楽しむべきときに楽しむということが大切である。それは心を誠にした証、心が正常であるということ。

感情は一瞬一瞬、違っていくのが当たり前で、怒りを3日も4日も溜めておくのは正常ではない。
怒るべきときに怒らない、楽しむべきものを楽しまないのは、これもまた正常ではない。

2017.07.31

#41「修身とは、身を修めること」

「身を修める」の「身」とは心身(精神と肉体の両方)を意味する。リーダーは心身共に健康であることが求められるが、その「身」を修理、修正、修繕して、ひずみや狂いのないものにするのが「身を修める」ことである。「わが身」の足りないところを、修理修正して、正しいもの、欠陥のないものにしていく、即ち「修養」していくことである。

そして、そのためには、先ず自らの「心を正しくすること」が重要である。具体的には、
(1)心を「ここ」に―正しい所に―おいて、
(2)正しく視、正しく聴き、正しく味わい、
(3)そして、事を正しく認識し、正しく判断して、正しく処理することである。

「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味わいを知らず」にならないことである。

*関連記事 #19「正心とは(心を正しくする)」

2017.07.27

#40「観」と「見」

「観」という字には、「みる」という意味がある。「みる」にもいろいろの見方があって、目の前の風景や物をぼんやりとながめているという見方もあれば、こちらから目的を持って「視察」したり「観察」したりするという見方もあり、決して一様ではない。

剣聖宮本武蔵が「見の目」「観の目」といっているが、「観」というのは最も深い見方であって、うわべだけでなく、そのものの本質までを見抜く見方をいう。

こうなると「観」とは必ずしも「目」で見るだけでなく、眼耳鼻舌身のすべての感覚機関を通じて把握する働きであるといえる。つまり、視覚、聴覚、臭覚、味覚、皮膚感覚(触覚)の全てを「観」といえるが、「観」という境地の把握は、それらの1つ1つの感覚機関にとらわれず、むしろ全身全霊的のはたらきによって行われるものである。

「人生観」「職業観」「世界観」「宗教観」等、そのものの本質に対する深い把握、深い認識をこの「観」という字で現すのである。

経営者として、組織のリーダーとしてこの「観」を重んじ、実践したい。

2017.07.23

#39「長所と短所」

人にはそれぞれ長所と短所がある。人を用いるには、その人の長所を取って短所は知っていても見ないようにするのがよい。しかし、自分自身を処してゆくには、自己の長所を忘れて、短所を補うように勉めることだ。

人を用いるのに、短所をあまりに責めると、仕事に意欲をなくしてしまうので、むしろ長所を褒めてこれを発揮させるようにするのがよい。ただ、自分の長所は長所として、大いに伸ばすべきであるが、これを鼻にかけるようなことなく、むしろ短所を補う努力をしたほうがよい。

2017.07.22

#38「一隅を照らす」

「一隅を照らす」とは、今、置かれている場所や立場において、ベストを尽くすことを言う。

リーダーとして大事なことは、自分の持ち場において、虚心坦懐に、先ず「一隅を照らす」べく、誠心誠意尽くすことである。そして、それに加えて、自分自身が明かりになること。つまり、自らが発光体にならなければいけない。(*虚心坦懐とは、ありのままを素直に受け取りわだかまりのないこと)

月のように太陽の光を反射しているだけではやがて、暗くなる。人の意見を伝えて回るだけの人間ではだめで、自分自身が一灯になることが肝要である。

一灯照隅(いっとうしょうぐう)
一つの灯火を掲げて一隅を照らす誠心誠意の歩みは必ず共鳴者が現れ、いつか万灯となる。だからまず自分から始めなければならない。
(*関連記事 #31「一燈を頼め」)

2017.07.21

#37「果断」

物事を思い切って断行するのは「義」から来るものと「智」から来るものと「勇」から来るものとがある。この3つの中で「義」と「智」とをあわせた果断が最上である。単に勇気だけから来る果断は危険である。

「義」は是非善悪を決する道徳的判断、「智」は利害成否を考える科学的考察(合理性)、「勇」は実行的意欲である。